さて、今日はまずマルクスの経済学のばあいについてお話し、そしてこの次には、それと対
比しながら、ヴェーバーの社会学のばあいを問題にしてみたいと思います。ところで、皆さん
のなかには、マルクスとヴェＬバーの学説は互いに縁もゆかりもないもので、両者の比較とか
交錯とかいったことは、およそありえないのではないか、というふうにお考えになる方もある
でしょう。ある点では、実際そうなのかも知れません。しかし、いまはそういう先入主見から
しばらく離れて私の話を聞いていただきたい、そして、いちおう私の話の筋道についてきてい
ただきたいと思います。
マルクスの経済学のばあい、経済学の認識対象となるものは、他ならぬ生きた人間諸個人で
あります。生きた、肉体をもつ、そして社会をなして経済生活を営んでいる、そういう現実の
人間諸個人なのであります。それか経済学における認識の出発点であり、また到達点なのであ
ります。マルクスか、根本的に考えるということは人間をとらえることだというふうに言って
いるのは、そのことでしょう。そうした人間諸個人は、もちろんロビンソン的孤立人ではなく、
マルクス自身の言葉を使うと「社会をなして生産しつつある人間諸個人」で、彼はそこから出
発し、かつ終始それを認識対象としてもちつづけるわけです。このことを、ます、はっきりと
頭に入れておいていただきたいと思います。念のために中しておきますと、マルク。スのばあい、
こうした諸個人から切りはなし、あるいはそれに対置して、社会それ自体を出発点とする、つ
まり諸個人に対立した意味で社会を実体化して考えるような発想はないようです。諸個人やそ
の営みを、出発点から、何か彼らを超越した社会的実体の一環としてとらえるような発想は、
おそらく歴史派経済学のものだといってよいでしょう。ともかく、出発点か生きた人間諸個人
だということは、マルクスか繰りかえし言っていることであります。
ところで、マルクスは経済学にも、自然科学のばあいと同じように理論的方法を適用すると
いうのですか、対象か、単なる自然とちがって、生きた人間諸個人の営みであるばあい、深く
考えれば、いったいどうして自然と同じように理論的方法を適用することかできるのかという
ことがすぐ問題になってこざるをえません。そこで彼のばあいにも、『資本論』という経済学
（正確には、経済学批判ですか、その意味はあとで中します。）の体系かうち立てられる前提として、こ
の問題か何らかの形で解決されていなければならなかったわけです。その努力は、岩波文庫に
も翻訳か出ている『経済学・哲学草稿』でもすでにはじまっておりますか、おそらくそれか一
応の形ではっきり出てくるのは、マルクスＨ｀エングルスの『ドイツーイデオロギー』、とくに
その最初の部分にあたる「フオイェルバツ「論」（これも『ドイツーイデオロギー』という表題で岩
波文庫に翻訳がでております。）だと思われますので、その部分の叙述を想い浮かべながら、私の言
葉で説明し。ていきたいと思います。
経済学の認識対象は、社会をなして生産しつつある生きた諸個人です。この諸個人は、それ
ぞれ自分の意志をもって目的を設定し、手段を選択して、多かれ少なかれたえず決断をしなが
ら、行動している諸個人です。その点、自然現象とはだいぶ違うわけです。ところで、こうい
うばあいに、自然に対するのと同じような意味で理論的方法か用いられるのは、いったいどう
してなのか。それを説明するために、マルクスはいま言った「フオイェルバツ（論）のなかで、
自然成長的分業＾ie ｎａｔｕｒwiichｓｉｇｅ Teilｕｎｇ ｄｅｒ Ａｒｂｅｉｔ
（岩波文庫ではこういうふうに翻訳されており
ますか、自然発生的分業という翻訳もあり、どちらでもよいと思います。）、そういう方法概念を用いて、
この難問を解決しているわけであります。この自然成長的分業というばあい、とくに問題にさ
れているのは社会的分業、大ざっぱにいって、さまざまな職業分化だとお考え下さっていいと
思います。つまり、さまざまな人がさまざまな生産部面（流通部面等も含めて）を担当しながら、
彼らの共働Ｚｕｓａｍｍｅｎwiｒｋｅｎによって、社会全体の物質的新陳代謝、つまり経済か成り立って
いる、そういうふうな分業にもとづく共働というふうにお考え下さってよいと思います。
ところでヽとくに郎加必珎昨な分業というの吭その分業と共働の仕方べ計画的でな气
偶然的なこととして行なわれるということを意味しています。（’ルクスは、それを自由意志的で
ないというふうにも表現しておりますか、ここでは触れないでおきまし。う。）つまり、それぞれの人間
諸個人が、特定の生産部門ないし職業部門に携わるぱあいに、なんらか社会全体として計画か
あり、それによって、意識的にそれぞれの部門に割り当てられるというのではなくて、ただ偶
然的に、いわば与えられたものとして受け取るような仕方で、その分業関係のなかに入りこみ、
そしてその上でこんどはそれを推進していくことになるような、そういう社会的分業です。お
父さんかやっていたから、そのあとを継ぐとか、たまたまある学校のある学科に入ることにな
ったから、その職業に携わるとか、その他さまざまの偶然的な、私的な諸事情によって形づく
られていくような、だから個々人には、他のだれかどこで何をやっているのか、彼らの狹い私
・的な範囲でしか意識されていないような分業関係です。国勢調査をやって、はじめて、その余
貌を事後的につかむことかできるような社会的分業の仕組みです。
さて、社会全体としてみれば、いろいろな人がいろいろな生産部門に分属して、さまざまな
ものを生産し社会全体の欲求を満たしていく、そしてそれによって、社会全体のいわば物質的
新陳代謝がつねに続けられていくことになるわけですが、それぞれの人がいろいろなものを生
産するといっても、その基盤かいま言ったような自然成長的な分業であるばあいには、個々人
の営みはまったく私的なものとして行なわれ、したがって、その営みか現実に社会の必要を満
たすものであるかどうかということ、つまりその営みの公的な機能は、結局、需要と供給か押
しあいへしあいしている市場において、いいかえれば、そうした交換過程のただ中ではじめて
事後的に実証されることになるわけなのです。それまでは、個々人はみな自分の仕事の公的な
意義についてはまったく偶然な、限られた知識しかもちあわせずに、単なる私的な仕事として
やっているわけです。ところで、こういうばあいにはご「疎外」ｉｉｎｔｔｒｅｍｄｕｎｇという現象か起る、
とマルクスはいうのです。
では「疎外」とはどういう現象なのか。それを少し説明してみましょう。先ほども中しまし
たか、マルクスのばあい、具体的な人間というものは、社会をなして生産しつつある諸個人で
す。つまり、その諸個人かそれぞれ独自な生産用具をもって労働対象に働きかけつつ、さまざ
まな物を生産する。この、さまざまな物を生産する諸個人の力が、マルクスによって生産諸力
ｄｉｅ Ｐｒｏｄｕｋｔiｖｋｒａｆtｅとよばれているものです。これはふつうの解釈と違うかも知れませんか、
さきに申しました『ドイツーイデオロギー』の「フォイェルバツ「論」のなかで、このことを
繰りかえし繰りかえし書いております。（その点、厳密には、原文にっいてお読みいただきたいと思い
ます。）それはともかく、こうした生産諸力の総体か社会の生産力を形づくるわけです。ところ
はＩマルクスによると、これは、私有財産制度という基盤の上で、と言いかえてもよいわけ
ですＩ、ほんらい人間諸個人の力の総和にほかならない社会の生産力か、そしてその成果た
る生産物か、人間自身からまるで独立してしまって、その全体を見渡すことかできず、また人
間の力ではすぐさまどうすることもできないような動き、そういう客観的な過程と化してしま
う。その意味で、まったく自然と同じようなものになってしまうというわけです。つまり、経
済現象というものは、ほんらいは人間諸個人の営みであり、そ10成渠図澎るにもかかわらず、
ギ魴県沐潮儲陥人に対立し、自然と同じように、それ自体頑強に貫徹する法則性をそなえ願霽
観的な運動として現われてくる、というわけです。マルクスはそれを、哲学者にわかるように
言えば人間の「疎外」だ、と言っております。すなわち、彼のいう「疎外」とは、人間自身の ５
力やその成果か人間自身から独立しヽ人間に対してヽあたかも自然がそうであるようなヽ独自 ―
な法則性をもって運動する客観的過程と化してしまうことであります。つまり、経済現象がわＩ６
れわれにとっていわば第二の自然として、マルクス自身の言葉を使えば、「自然史的過程」と １
して現われるということであります。だからこそ、自然を取り扱うのと同じやり方で、同じ理
論的方法を用いて、科学的認識か成立するのだとマルクスは言うわけなのです。これは、もち
ろん、なかなか難かしい問題を含んでおりますか、大筋はそういうことだと思います。ただ、
こういうことをはじめて聞かれた方には、これだけでは、まだちょっと判かりにくいかと思い
ますので、ある事例を使って、もう少し判かりよくしてみたいと思います。 。
一〇年ほども前のことですか、皇居前の広場で群衆かなだれをうって動き出し、どうにも収
拾がつかなくなって、お婆さんや女の子がその下敷きになって死にそうになったり、怪我をし
たり、。ずいぶん気の毒なことか起ったことを、皆さんは覚えておられるのではないでしょうか。
そのときに、屈強な男が五人か六人ぐらいでスクラムを組み、怪我人かでないように、一生懸
命に動きを止めようとしていた。しかし、群衆の動きの巨きな力の前にはそんな個々人の抵抗
などものの数ではなかったということを新聞が書いていたのを、私は印象深く覚えております
か、こういうことを、ち。つとのあいた、皆さんに思い出していただきたいのです。この群衆
かなだれをうって動いていくときの力というものは、たいへんなものですね。このごろはあま
りそういうことはないのですか、なかへ入ってみたらわかりますね。じつは、私もその経験か
あるのです。中学生のとき、弟と一緒に二咼一三高の野球戦を見に行ったのですか、入口近く
で群衆かなだれをうって動きはじめました。そしてそのなかへ、私も弟も入ってしまったので
す。どうにも逃げ出すわけにいかない。足がもう地についていないのです。着物を着、下駄を
はいていたのですか、帽子や下駄などはいつのまにか、どこかへいってしまいまして、足がよ
うやく地についたときは、よくも生きていたものだと思ったことかあります。ああいうばあい、
逃げ出すわけにはいかないものですね。力の強い人なら、少しはがんばって抵抗することもで
きるでしょうけれども、いくら強くたって、個々人か全体に徹底的に反抗して動こうとしたら、
自分か死なないまでも大怪我をするだけで、無事に生きのびようとすれば、個々人はその流れ
のなかで、ただ全体の動きについていくほかはないでし。う。マルクスは、自然成長的な分業
の基盤の上でおこなわれるばあい、経済現象はだいたいこうした性質をおびることになるとい
うわけなのですが、この群衆の例をとってみると、それがもっと単純な形で現われてくるので、
われわれの理解にはたいへん好都合です。
ところで、群衆全体のものすごい力、驚嘆に値するようなエネルギーは、しかし、よく考え
てみると、諸個人の力の総和に他なりません。それが諸個人の共働の結果、倍加されているこ
とはもちろんありますか、しかし、結局のところ、諸個人の、群衆を形づくる一人一人の力の
総和に過ぎないことは明らかですね。そこに神秘的な力が加わっているというわけのものでは ８
ありません。そんなことは、ぜんぜん考える余地か力いでしょう。もちろん、そういうふうに 。
考える人も中にはあるかも知れませんか、それは科学的認識とはまったく別の次元のことから
ですから、本日の主題にはなりえません。それはともかくとして、そうした諸個人の力の総和
にほかならぬ群衆全体の力が、そのばあい、群衆を形づくる諸個人自身から独立し、むしろ対
立するものとなっていることは明らかでし。う。皆どうにもならない。ただ、その群衆の一人
として全体の流れる方向に動いているだけです。一人一人は、みな、自分はそんなところへ行
きたいとか、そういう動き方をしようなどとは、だれも思っていない。できたら、もちろん止
めたいと思っている。早く流れの外へ出たいと思っている。しかし、ちょっとそこまで出れば
楽になるんだから、と思っても、どうにもならないで、どんどん一定の方向にもっていかれて
しまうわけです。怪我せずにいたいから、ただ仕方ないから進むわけですか、その個々人の進
むことか、また力の総和の一環となっていくわけです。こうして、自分たち自身の力が、自分
たちにまったく対立した別のものになって、どうにもならなくなる。それはどこから来て、ど
こへ行くか、ぜんぜん見渡すこともできない。これが「疎外」だといったら、よくわかるんじ
ゃないでし。うか。そしてまた、人間の「疎外」の現象か、とりもなおさず、社会関係の「物
化」Ｖ ｅｒｓａｃｈｈｃｈｕｎｇ と人との関係がわれわれの目には物と物との関係として現われてく
るＩの現象であることも判かってくるのではないかと思います。が、その点についＩて、いま
の群衆の例を使ってもう少し説明をつづけていきまし。う。
さて、群衆かなだれを打って動きだして混乱か生じたばあい、それを収拾するには、どうし
たらよいでしょうか。皆さんは、どうお考えになりますか。たとえば、ひじょうに克明な調査
表を作り、いろんな項目を整える。そして、群衆のなかに身を挺して乗り込んで行って、その
群衆の一人一人の背の高さをはかったり、その力の強さを測定してみたり、あるいは、どっち
へ行きたいかという希望だとか、現状に満足しているかいないか、そうしたことを克明に調査
してみたら、それに役立つでし。うか。もちろん、無意味ではありえませんか、マルクスは、
そうしたことは疎外状態から人間諸個人を救いだすのに根本的に役立つとは、どうも考えてい
なかったように思います。
彼の考え方を、私なりに解釈して比喩的に説明してみますと、むしろ、こういうことになる
のではないでしょうか。−どこか小高いところに立って、群衆全体の動きを見渡す。高いと
ころから見るのですから、個々の人間の細かい動きはともかく、群衆全体がどこからどこへ動
いているか、その大筋かはっきりとわかるでしょう。そのばあい、個々の人間を、独自な個性
的な動きをする人間として取り扱うことは当然二の次です。群衆全体が自然と同じようなもの ９
になっＩて動いているのですから、さしあたっては人間をもの扱いにするほかはありません。と
Ｉ社会科学の方法
もかく、群衆全体の動きを見定めて、方々に伝令をとばし、方向をいろいろ変えさせたり、止
めたりしていくわけですね。その極限は、軍隊などのように、計画的な隊列を作らせることに
なるでしょうか、ともかく、こうして混乱は収拾されるでしょう。つまり、計画的に隊列をつ
くって行進すれば、そうした混乱は起こり得ないのだから、群衆に隊列行進という計画性を与
えて、その混乱を解消していく。こうして、人間の「疎外」現象を解消していけばいいのだ。
こうｙルクスはいうのだと思います。これか彼のい力社会主義とその計画経霹か意味するとこ
ろでしょうか、それはともかくとして、社会的分業の印然成長性の結果たる「疎外」現象のた
めに、人と人との関係がわれわれの目に物と物との関係として現われてくるような資本主義社
会の経済現象を、科学的に認識するためには、このような意味で、人間の営みである社会現象
を自然史的過程として捉え、自然科学と同じ理論的方法を適用することか必要ともなり、可能
ともなるというわけです。
『資本論』の第一版への序言をお読みになりますと、このような意味のことか書いてある。
自分は「経済的な社会構造の発展を一つの自然史的な過程と解」して、資本主義的「社会の運
動の自然法則」Ｉ「経済的運動法則」−を発見しようとする。それは、それによって、新
しい社会の「生みの苦しみを短くし、かつ和らげることかできる」からなのだが、また自然史
的過程とみることに照応して、本書の叙述では「資本家や土地所有者の姿態の光明面は書いて
いず……諸人格が問題となるのは、ただ彼らか経済的諸範疇の人格化であり、一定の階級諸関
係および利害関係の担い手である限りにおいてである」といったことを記していますか、以上
のような例解でその意味かよくわかるのではないかと思います。ともかく、マルクスの経済学
のばあい、このように自然成長的分業という方法概念の操作を介して、人間の営みとしての経
済現象に自然科学と同じ理論的方法か適用されることによって、科学的認識か成立することに
なる。こういうわけなのです。『資本論』の叙述は、こうしたことからを前提として展開される
のですか、その内容については、もちろん、詳しくお話するような余裕はありません。が、以
上述べたことからに関連して、次のようなことだけは、ちょっとお話しておきたいと思います。
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