さて、それではマルクスのばあいには、社会科学の方法は自然科学の方法と全く同じだと考
えられているのか、つまり、社会現象を対象としたばあいの科学的認識と、自然現象を対象と
したばあいの科学的認識と、全く同じに考えられているのかといいますと、私にはどうしても
そうは思えない。私にはそういうふうに読みとれないのです。と申しますのは、自然科学的認
識のばあいには、はじめから終りまで、どこまでも対象は自然であり、ものでありつづける。
そして自然現象の法則か明らかにされていくわけです。が、『資本論』の叙述に現われてくる
方法は、必ずしも、それと同じであるとは思われない。というのは、こういうことです。『資本
論』という厖大な、それは大へんむずかしい書物、私はあれをマス＊ ―したなどとはとてもい
えないのですか、そのせいもありまして、目次をよく読みます。ああいう内容緻密な本の目次
を繰りかえし繰りかえし読むということはひじ。うに重要なことでして、一般にもっと目次か
読まれたらいいなあ、と思うことさえあります。
ところで、『資本論』は、最初に第一部第一篇第一章「商品」、つまり開巻劈頭に出てくるの
は「商品」です。それからすっといきまして、全叙述の最後の第三部第七篇第五十二章「諸階
級」で終りになります。つまり、物化された形のもの、「商品」からはじまって、「階級」とい
う、人間のあり方の最も現実的な条件、そして、社会をなして生産しつつある諸個人の、最も
現実的な姿である階級的諸個人、そうした人間でおわるわけです。最初に出てくる「商品」は、
さきも申しましたように、もともと自然ではなく、人と人との関係なのですか、それか「疎外」
の結果、人間にとって自然と同じようにものとして現われている、そうしたものです。こうし
た「商品」の分析からはじめて、そして、物と物との関係のように見えている経済現象を、マ
ルクスは『資本論』において逐一究明しながら、しかも、最後に出てくるのは、もはやもので
はなくて、最も現実的な「階級」という規定性をおびた諸個人、つまり人間なのです。このよ
うに物にはじまって人間に終るわけですから、自然科学の方法とちょっと違っていることは容
易にわかりますね。ところで、こういうことは『資本論』の最初と最後だけではなくて、叙述
の途中にも繰りかえし繰りかえし現われてくるのです。たとえば、こうですね。最初の「商品」
の構造分析から価値形態論の終りのところまでは、すべてか物と物との関係として、商品と商
品とか方程式の両辺におかれて等置されながら、価値か表現され、現象していくさまざまな形
態か一つ一つたどられていく。そして一般的な等価形態―これは貨幣形態へ移行するＩに
まで到達することになります。この追求は非常に精密であって、もちろん古典派経済学などの
比ではありませんけれども、しかし根底において、人と人との関係を物と物との関係という疎
外された形のままで追いかけていくという点では、私は古典派経済学のばあいと同じやり方だ
と思います。
しかし、マルクスのばあいには、その次が違ってくる。いま申しました、価値形態を取り扱
っている第一章第三節「価値形態あるいは交換価値」と第二章「交換過程」とのあいだには、
有名な第一章第四節「商品の物神的性格とその秘密」、つまり例の商品のフェティシスムスを
追求している個所かはいっています。自然科学のばあいと方法的にちがっているように思われ
るというのは、たとえば、ここなのです。ところで、商品のフェティシスムスとか、物神的性
格などと申しますとヽちょっとわかりにくいかも知れませんかヽ要するにヽ商品は人間にとっ
て、偶像崇拝のばあいの偶像のよう。に転倒した性格をもっている、ということです。人間は自
分の手で偶像を作っておいて、そしてその自分の手で作ったものを拝んでいる。自分を超えた
存在だと思っている。そういう錯覚による転倒か、商品のばあいにも見られるという意味です。
商品は人間によって作られたものであり、そこには、物質的利害を背おった人と人との関係が
ただ投影されているにすぎないのに、あたかも商品か人間とは無関係になにかそれ自体として、
内在的な価値をもっているように見えている。というのは、必要な生活物資がすべて商品とい
う形をとるほかない市場経済のもとでは、そういう風に考えてやっていかなければ日常生活は
やっていけないＩ地球の上では太陽か動くと考えなければ日常生活はやっていけないように
Ｉのだから、そういう錯覚か実感となってしまっていて、人間の経済生活はさしあたって、
そんな風に表現されるよりほかしようかない。そこで、古典派経済学と同じように、マルクス
も商品−商品生産でなくてＩからはじめ、さしあたって経済現象を商品と商品の関係とし
て理論的方法で追求していくわけです。ところで、それは価値形態論の終りのあたりまでは見
事に展開されるのですか、一般的等価形態の貨幣形態への移行か問題となってくると、少し様
子か変って、うまくいかなくなる。そこで、このアポリアを突破しようとして、マルクスはブ
ルジョア社会の現実を頭に想い浮かべながら、商品と商品とかでなく、人間と人間、つまり商
品所持者と商品所持者とか相対峙するような現実の「交換過程」の理論的追求に入っていく。
そして、そこで貨ＪＪ必然性を説明することになるのですか、その前提として「商品の物神的
性格」の暴露がおこなわれて、人間か想起されていくわけです。私は、このあたりのマルクス
の方法は、天才的といいたくなるほどすばらしいと思うのですか、まったく反対に、マルクス
の誤謬だなどという人々もあるようです。私には全く不思議というより他はありません。
それはともかく、「交換過程」でそうしたアポリアが突破されたのち、第三章「貨幣あるい
は商品流通」では、これを前提として物と物との関係かさらにたどられていくのですか、第二
篇第四章「貨幣の資本への転化」で、また同様なアポリアか現われてくる。それは、商品流通
の法則によって説明されねばならぬか、同時に商品流通の法則のみによっては説明されえない。
そこでまた、ブルジＥア社会の現実を頭に想い浮かべながら、人間が想起されていく。「この
単純流通あるいは商品交換の領域……から訣別するに際し、わか登場人物の相貌はすでに幾ら
か変っているように思われる。さきの貨幣所有者は資本家として先に立ち、労働力所有者は彼
の労働者としてその後につづく。」こうして、つづく第四篇での余剰価値の生産という認識が
導き出されてくることになるわけです。このように、物と物との関係を辿りながら、ある決定
的な論理段階で、ブルジＥア社会の現実か思いうかべられ、た降の姿か現われてきて、アポリ
アがのりこえられる。そしてまた、そのたびに、その人間の姿は一歩一歩現実の具体的な人間
に近づいていく。こうしたことは、『資本論』全巻を通じていろんなところに出てくるように
思うのですか、とりわけ、第三部の終りの第七篇で、ブルジＥア社会の経済的諸関係の疎外さ ６
れた現象形態であり、物神的性格の完成である三位一体的範式、つまり資本には利子、土地に 。
は地代、それから労働には賃金という三位一体的範式か批判され、そこでぐるっとひっくりか
えされて、ブルジＥア社会における現実の真の姿たる「分配諸関係と生産諸関係」とその「諸
階級」が明らかにされる。こうして、ブルジ’ア社会に・おける人間のもっとも現実的な姿、あ
るいはもっとも現実的な姿における人間諸個人に到達することになっているように思います。
つまり、『資本論』においては、観念の範囲内において、人間の疎外からの解放か行なわれてい
る。あるいは、疎外からの解放を観念的に先取りしている。そして、先取りすることによって、
それを現実に達成する道を示そうという、そういう形になっているのではないかと思うのです。
それはそうと、このような観念世界の内部での疎外からの回復、物化現象からの人間の解放
ということ、或いは、物と物との関係とみえるところの現象を、それはじつは人と人との関係
であるというふうに絶えず翻訳していくというマルクス独自の認識方法を無視しましたら。
『資本論』ではおそらくいたるところで論理か行き詰まってしまうのではないでし。うか。そ
して、もし『資本論』のなかから、そうしたマルクス独自の認識方法をすべて切り捨ててしま
って、物にはじまり物に終る形に組みかえるとしますと、かりに成功したとしましても、それ
は、その限りで古典派経済学への逆戻りになるほかはないでし。う。マルクスか「経済学批
判」−経済学ではなくＩという副題を『資本論』にもつけているのは、まさしくその違い
を意識してのことだと私は考えております。つまり、疎外現象のなかを動きまわっているだけ
の経済学を批判して、経済の主体か他ならぬ人間であることを明らかにするのか自分の意図な
のだ、そうした意味か「経済学批判」という表題にこめられているのではないかと思うのです。
さて、『資本論』の叙述のこうした特徴についてお話してきたのは、じつはマルクスの方法を
ヴェーバーの方法と比較するきっかけをつかむためでもありました。そこで、そうした気持を
こめて、もういちどマルクスの基礎的立場を簡単にふりかえりながら、話をすすめて参りまし
ょう・。マルクスによると、自然成長的な分業に由来する疎外現象の結果、人間自身の力にほか
ならぬ社会の生産力が、人間自身から離れ、むしろ対立して、見渡しがたい、さしあたって個
個人の力ではどうにもならないような客観的過程と化して、そうしたものか人間を支配するよ
うになっている。この疎外或いは物化の状態から人間を救い出さなければならない、というわ
けですね。ところで、こうした疎外あるいは物化という状態は、いうまでもなく、人間にとっ
ては自由の喪失に他なりません。あの、さきの群衆の譬えを思い出していただけばよく判かる
と思うのですか、いったん群衆の動きのなかに大ってしまうと、じっさい、個々人はどうする
こともできない。自分の理想とは反するから、こういうふうにしたくはない、といくら思って
も、もし全体の動きと反対の行動をとるとすれば、大怪我をするか、死んでしまうかでし″う。
だから、いやでも全体の動きのなかで流されていくよりほか、生きていく道はない、といった
ようなどと皀なるわけです。自由の喪失です。マルクスは、このような自由の喪失を招来する
自然成長的な分業関係はブルジＥア社会、つまり資本主義社会において最高度に達すると考え
た。もちろん、自然成長的分業というものは、彼のばあい、なにも資本主義社会特有のもので
はないので、それ以前の社会にもみられるわけですか、それか徹底的な姿をとるのは、いうま
でもなく資本主義社会です。だとすると、資本主遺社会は歴史上人間の自由の最も失われた時
代だということになるわけで、実際、彼はあるばあいには確かにそういうふうに考えているよ
うに思います。
ところか、他面においてマルクスは、人類社会のより低い発展段階１だから封建社会−
に比べると、資本主義社会のばあいのほうが人間の自由かより大きくなっているとも考えてい
るようであります。彼は北軍が勝つことを熱望しながら、南北戦争の戦況を注視していたとい
う話ですか、彼は、奴隷制的なもの、封建的なもの、と｀いった勤労人民を押えつけている古い
軛が打ち砕かれていく、そうした過程に、人間の自由か拡大されていく様相をみとめていたよ
うに思われます。じっさい、そう考えなければ、さしあたり封建制の維持の側にたって、資本
主義の発展をくい止めなければならないことになるほかはないでしょう。―けれども、一方
では自然成長的分業の展開とともに自由は失われるといい、他方では歴史の発展段階を上昇す
るにつれて自由は増大していくという。これは、いったい、どういうことか。マルクスは、お
そらく、こういうのでありましょう。−
資本主義はたしかに人間諸個人を、原生的な共同組織を基礎とする伝統的な社会の束縛から
解放する。しかし、資本主義のもとにおいては、諸個人の自由な発展と運動は自然成長的分業
の偶然性にゆだねられてしまうために、現実にはその自由は、独自な階級的諸条件の内部で妨
げられることなく偶然性を享受しうる、という偶然的自由にすぎなくなり、したがって真の人
格的自由ではありえない。そこで、「観念においては、諸個人はブルジ’アジーの支配のもと
では以前よりも自由である。なぜなら、彼らにとっては彼らの生活条件は偶然的だからである。
しかし、現実においては、もちろん彼らはより不自由である。なぜなら、より以上に物的強力
のもとに従属させられているからである」ということになるわけです。それはそうと、こうし
た観念における自由こそが、資本主義社会のうちにあっても、観念において真の人格的自由を、
したがって疎外状態からの人間の解放を先取りさせるものなのでありましＨうが、ともかく、
マルクスのぱあい、レ」ルレ‰ア社会における現実の人間諸個人は、階級的諸条件の制約によっ
て、こうした観念における自由と現実における不自由の統一という姿をとっている、と考えら
れているといってよいのではないかと思います。だから、いうならば、具体的な生きた人間諸
個人は、『資本論』の叙述にあらわれているような経済学的諸範疇の人格化、そういった抽匁
的なものではなくて、もっとはるかに複雑なもの？ヴェーバー風にいえば、経済以外のさまざ
まな文化領域にも頭をつっこんでいて、したがって、彼らを行為に押しうごかす動機のうちに
は、外的−経済的な利害関係のほかに、さまざまな内的１人間的な利害関心か１「人はパン
のみにて生くるものにあらず」といわれ乙いるようにＩ含まれているのでｕないでしょうか。
ところで、マルクスは、しだい叫経済学批判という仕事に集中していって、内的‐人間的な
諸動機から発する諸個人の行動の法則歯髓毘題を、大ざっぱにいえば、視野の外においてしま
ったように思われるのですか、それはどうしてでしょうか。私のまったくの推測をいわせてい
ただくと、こうです。階級的人間を現実に真の人格的人間にまで解放するために必要不可欠な
観念的手段−つまり地図ですＩのうち、鈩少影ｔに必要なもの、そうした第一に着手さる
べきものとして経済学批判の仕事に集中した。しかし、もしもっと長く生きていたならば、他
の文化諸領域における人間行動の固有な法則性の探求へ進んでいったのではないか。賛成かあ
まりえられそうにない推測ですか、私にはそう思えてならないのです。というのは、こうです。
彼はたしかに、社会運動のためのか訃を書こうとした。そして、モみなかでは人間諸個人の生
きたままの姿ではなく、経済学的諸範疇の人格化としてのみ取り扱った。しかし、地図のうえ
だけではなくて、現実の社会運動のなかでも、生きた人間諸個人を単なる経済学的範疇の人格
化として扱气いわばい心扱いにすることかよいのだと考えていたのでしょう勺私にはどう
もそうは思われないのです。
このお話の冒頭で、地図の比喩を使いましたので、もういちどそれを持ちだして、その理由
を説明してみたいと思います。山を登るため昔図奏要る。これは最少限度必要なことです。
ぞの地図の上に描かれているのは黒と白の線や点だけで、現実の山や川の姿はみられません。
登山している人間の姿などみられようはすはありません。また、そうでないと、地図が地図と
して現実に、登山のためにも、物の役にたたないことはさきに中しましたとおりです。しかし、
山に登るのにこうした地図だけでいいかといったら、もちろん、そうではありません。地図だ
けであとはなんの準備もしないで出かける人などあるものではありません。そのほかに、さま
ざまのことか問題になるわけです。たとえば気温。気温が下るということを考えたらちゃんと
保温の準備をしていかなくちゃなりません。それから、どれくらいの食糧がいるかな。ど、地図
からでてこないことがたくさんある。それから、登山隊を結成して登山しようとすると、リー
ダーかいなければなりません。そしてこのリーダーか登山隊の隊員を統率して登山ということ
を達成するには、その隊員たちの内的−人間的な利害−関心の状況というものを十分に考えて
いかなくてはならないでし。う。が、こういうどとは登山隊に限らず、社会現象のばあいには、
つねに見られることです。もの扱いにしたら、人間というものは動くものではありません。
たとえば、さきほどの群衆の混乱のばあいで考えてみますと、メガホンで君たちはこっちに
行け、君たちはあっちへ行け、というふうに指揮をして計画的にやっていけば、混乱は解消す
るだろうなどと中しましたか、そのばあいでも、群衆の諸個人をただ外的な力に押されて動く
だけのもの扱いするのでなく、彼ちの内的’人間的な利害’関心の状況をＩ極隕的なばあい
には文学者によって描きだされるような人間心理の機微までもＩ考慮に入れなければ、指揮
による計画化も成功しないのではないでしょうか。というのは、現実の生孝た人聞諸個人とい
うものは、単なる経済学的範疇の人格化などではなくて、外的１経済的な利害関心のほかに、
その行為（あるいは不行為）の動機のなかには、さまざまな内的‐人間的な利害関心もまた含まれ
ているからです。たとえば、名誉感情によって深く制約された内的‐人間的な動機、ヴェーバ
ーならば、外的１経済的な「階級」状況Ｋｌａｓｓｅｎｌａｇｅに対して「身分」状況≪tａｎｄｉｓｃｈｅ Ｌａｇｅ
とよぶものでしょうか、これなど経済的利害の状況からはなれて、相対的に強烈な影響をもつ
ことは、説明するまでもないでしょう。そういうものか具体的な人間諸個人なのです。
つまり、人間の社会生活は経済以外の文化的諸領域にも足をつっこんでおり、それからも巨
きな影響をうける。マルクスは、それにも拘わらす、人間の社会生活の歴史か結局外的−経済
的利害状況によって大きく軌道づけられると考え、そうした他の文化諸領域を、経済構造の上
に構築された上部構造とよんだが、ともかく、人間文化の在り方のそうした側面を明らかにし
たことは、たしかに高度な学問的達成だといわねばならないでし。う。それはたしかにそうな
のですか、そしてマルクスのばあいにも、上部構造の相対的に独自な運動を指摘はするのです
が、しかし、上部構造は経済的な基礎から根底的な制約を受けているという、それだけがつね
に強調されていて、上部構造の運動の、ヴェーバー風にいえば、「固有な法則性」それ自体に
ついては、積極的には何もいわれていないように思うのです。マルクスはそうした上部構造の
運動法則についての究明をさらにやろうとしていたのか、また、行なわれていたとすれば、ど
の程度まで行なわれたのかということは、私には十分に判かりませんので、マルクス研究をな
さっている方々に伺いたいと思っております。ただ、私にはこういう考えをどうしても捨てさ
厂 ることかできないのです。つまり、疎外のもとにある経済生活、そうした経済生活以外のさま
ノしざまの文化領域に関する限りでは、人間の社会生活は、いったい、どのような固有な法則的な
動きを示すのか。政治の場ではどうか。法意識にヽついてはどうか。芸術のばあいは。知的文化
領域のばあいは。ともかく、そうした経済生活以外のさまざまな文化諸領域における人間の社
会生活に「固有な法則性」を究明しようというばあいには、資本主義社会についてみてさえ、
人間を物化さ・れたものとして取り扱っていては、そうした方法のみでは、研究はもはやどうに
もならない。私には、そうとしか思われない。そういう点からして、私はマックスーヴエ１・バ
ーの社会学における問題提起と、そして当面はその方法に興味をもつことになるわけなのです。
*