*０６ 奴隷制および農奴制を基盤としておこなわれる産業経営
以上、「資本主義」とよばれる近代に独自な生産様式において回転軸ともいうべき地位にたつ「産業資本」なる生産
関係、およびその具体的な現われについて、大づかみな説明をこころみた。ところで、そのばあい、いちおうこうい
う疑問が生じてくるだろうと思われる。すなわち、そうしたものに相似的な形の産業経営は、歴史上「賃銀労働者」
の雇傭によらなくても、「奴隷」Ｓｋｌａｖｅや「農奴」ｈｏｒｉｇｅ Ｂａｕｅｒの使役を土台としても形成されたのではないか、と。
実際、すでに見たように、古典古代の地中海周辺諸地域ではしばしば武器、家具、陶器などの製造のために二、三〇人
程度の奴隷を集めた職場がつくられ、そうしたいわば「奴隷制マニュファクチャー」はギリシアでは「エルガステー
リオン」とよばれていたし、また、ローマの共和政末期あたりからしだいに姿を現わしてくる大私有地（ラティフンデ
ィウム）では、とくに都市近傍のばあい、葡萄酒の醸造やオリーヴ油の搾油などが市場目あての商品生産としておこな
われており、そのために相当規模の労働奴隷の集積がみられた。また、時代をはるかに降って、南北戦争前のアメリ
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ヵ合衆国では、市場販売目あての棉作のために南部諸州でそうした奴隷制的産業経営が相当大規模に行われていたこ
＊＊ ゝ 一
ともおそらく周知のことと思う。さらにまた、歴史上そうした賃銀労働者の雇傭によらない市場向け産業経営は、封
建的な「農奴制」の土台のうえででも成立しえたし、あるばあいには、きわめて重要な意義をもった。その代表的な
事例は近世の東ドイツ（いわゆるオストーエルペ）諸地域におけるグーツヴィルトシャフト（＝領主制農場）で、そこで
は領主たちは自分の直営農場を農奴（ライプアイゲネ）たちの無償の賦役（＝労働地代）によって耕作させ、その結果え
られた穀物その他の余剰を遠隔の西ヨーロッパ諸地域にむけ輸出したのであった。
＊ 前出、第一章、三悶を見よ。
＊＊ 菊池謙一 『アメリカにおける前資本制遺制』、および、いわゆるプランディジョン制一般については、さしあたりＭａｘ
Ｗｅｂｅｒ｢ Wiｒｔｓｃｈａｆｔｓｇｅｓｃｈｉｃｈｔｅ｢ ＳＳ. ８２-６
(ウェーバー、黒正・青山訳『一般社会経済史要論』上、一九六−二○二頁）をみよ。
＊＊＊ グーツヴ″ルトシ″フトについては、さしあたって、林健太郎『近代ドイツの政治と社会』第二編第一章、北条功「東ドイ
ツのユンケル経営」（大塚久雄編『近代の産業』所収）、Ｍａｘ
Ｗｅｂｅｒ｢ ａ. ａ. Ｏ.｢ ＳＳ. ８９ ｆｆ.（ウェーバー、前掲邦訳書、上、二〇七
頁以下ごＧ. Ｆ. Ｋｎａｐｐ｢ Ｄｉｅ
Ｂａｕｅｒｎｂｅｆｒｅｉｕｎｇ ｕｎｄ ｄｅｒ Ｕｒｓｐｒｕｎｇ ｄｅｒ
Ｌａｎｄａｒｂｅｉｔｅｒ ｉｎ ｄｅｎ ａｌｔｅｒｅｎ Ｔｈｅｉｌｅｎ
Ｐｒｅｕｓｓｅｎｓ｢ Ｉ｢ Ｅｉｎ-
leiｔｕｎｇをみよ。近来の研究によれば、十三世紀のイギリスについても、こうしたグーツヴィルトシ″フト形成への傾向が指
摘されている。Ｅ. Ｋｏｓminｓｋｙ｢ Ｓｅｒｖｉｃｅｓ ａｎｄ Ｍｏｎｅｙ Ｒｅｎtｓ in tｈｅ Ｔｈｉｒｔｅｅｎｔｈ Ｃｅｎｔｕｒｙ｢ Ｅｃｏｎｏｍｉｃ Hiｓｔｏｒｙ Ｒｅｖｉｅw｢ Ｖ／２｢ １９３５.
（紹介、大塚久雄「イギリス荘園の研究に関する最近の一傾向」『経済学論集』九の十、論文集『近代資本主義の系譜』後編、
「著作集」第三巻、所収ご｛｝ｏＦｅ乱al Ｒｅｎｔ in Ｅｎｇｌａｎｄ｢ Ｐａｓｔ
ａｎｄ Ｐｒｅｓｅｎｔ｢ ＶＩＩ[ １９５５.
なお、以上に関連して、ここで念の
ため次の二点に言及しておく。］」グーツヴ″ルトシャフトの内部でも多かれ少なかれ賃銀労働者の雇傭がおこなわれていた
し、またとくに十八世紀後半には増大してくる。その意義についてはさしあたって、北条功「十八世紀後半の東ドイツにおけ
る農業革命の特質」（「経済学論集」二三のニー三所収）をみよ。圖また、前項で述べたような巨大マニュフ″クチ″Ｉ、とくに
フランスの特権マニュフ″クチュールは、むしろこうした範疇に入るのではないか、という疑問が生ずるかもしれない。この
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疑問は正しいものである。巨大マニュフ″クチ″Ｉは少なくともそうした一面を具えている。しかしまた、「産業資本」として
ｉ
士
−−−−丶−
の一面をも確かにかね具えていたので、とりあえず前項で説明しておぐこととした。なお、上述の二点に関しては、拙著「近
代資本主義の系譜」前編、第三論文補説二、「著作集」第三巻を参照。
こうした形の産業経営はたしかに、一見「産業資本」に相似しており、したがって研究史上しばしば近代に独自な
「資本主義」と本質を同匕うするものとして考えられてきた。しかし、厳密にいえば、それは全く誤っている。なぜ
なら、そこには、近代の生産様式を独自ならしめているところの賃労働関係（資本家による賃銀労働者の雇傭）はみら
つ ヽれず、基軸をなす生産関係は端的に奴隷制であり、あるいは封建的な農奴制であって、それがただ外部にむかって、
商品生産の形をとっているにすぎないからである。言いかえるならば、商品生産Ｈ流通の関係は産業経営の内部に立
ち入ることなく、いわばその外側をかすめて通っているにすぎない。つまり、そうした奴隷制ないし農奴制を土台と
する商品生産は決して産業資本ではないのである。この点「資本主義」の発達の跡を歴史的に究明しようとするとき
決定的に重要な意味をもつことになるので、ここでいちおう確認しておくこととしたい。
＊ たとえば、古典古代に関するエド。アルトーマイヤーの見解。これについては、その批判をもふくめて’ Ｍａｘ
Ｗｅｂｅｒ｢ Ａｇｒａｒ-
ｖｅｒｈａｌｔniｓｓｅ im Alｔｅｒｔｕm｢ Einleiｔｕｎｇ｢ Ｇ. Ａ. ｚｕｒ
Ｓｏｚ.- ｕ. Wiｒｔｓｃｈａｆｔｓｇｅｓｃｈ.（ウェーバー、渡辺・弓削訳「古代社会経済史」「序
説」）をみよ。グーツヴィルトシ″フトを「資本主義」と考える事例には、たとえば、この問題に関する研究の草分けのクナ″プ
がある。Ｇ. Ｆ. Ｋｎａｐｐ｢
ａ. ａ. Ｏ.｢ ＩＩ｢ ＳＳ. ９１ ff.さらにＨ. Ｓｉｅｖｅｋｉｎｇ｢ Wiｒｔｓｃｈａｆｔｓｇｅｓｃｈｉｃｈｔｅにみえる「封建ｎ資本主義」Ｆｅｕｄａｌ-
Ｋａｐｉｔaliｓmｕｓなる概念をも参照。
＊＊ こうした点に関して、いま少しく立ち入った説明を加えておこう。日まず、東ドイツの領主制農場（グーツヅ″ルトシ″フ
ト）のばあい。その経営は市場向き販売を目あてにおこなわれており、たしかに商品生産である。その点はいちおう「産業資
本」と同じだといえよう。しかし、それを内から支える基軸ともいうべきものは農奴制、すなわち領主１農奴という階級関係
であって、賃労働関係ではない。そこには労働力の商品化という事実はみられない。つまり商品生産Ｈ流通という関係が経営
の内部にまで入りこみ、基軸たる階級関係を媒介するという事実はみられないのである。ただ、経営の外側から関係している
口すぎない。罔つぎに、奴隷制的産業経営についても基本的には同じことがいえる。ただ、使役される奴隷が貨幣で購入され
た「購買奴隷」Ｋａｕｆｓｋｌａｖｅであるばあいには、理論的にやや難解であるが、要点は次のとおりである。近代の賃銀労働者たち
に「賃銀」として支払われる貨幣は、さらに彼らの生活必需品の代価として支出されることによって労働力の再生産を媒介し
つつ、それ自体資本主義的生産様式の本質的な一環として働くことになるが、奴隷の購入代価として支出された貨幣はそうで
はない。それは支払われるやいなや、その奴隷の生活と全く無関係な方向に飛びさってしまい、労働力としての奴隷の再生産
を媒介することはない。つまり、奴隷たちの日常の衣食住は、奴隷売買の有無と全く別個に、経営の内部で奴隷制生産様式の
軌道にしたがっておこなわれていくのであって、労働力の商品化という事実はみられないのである。ここでも商品生産Ｕ流通
の関係はただ経営の外側から関係しているにすぎない。
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