*第二章 産業資本の形成
一 貨幣経済の発達
九 問題の所在
古い封建制（＝封建制的生産様式）の内部に「産業資本」が新たに生誕し、かつそれを掘りくずしつつ成長を遂げる
こと、これこそが「資本主義」発達史の基軸をなす過程であり、また資本の「原始蓄積」とよばれる歴史過程の基礎
的局面であることは、前章で述べたとおりである。ところで資本の「原始蓄積」とよばれる歴史過程はもちろんそう
した基礎的な局面だけにつきるものではなく、その周辺には種々な経済外的諸局面が絡みついていて、基礎的局面は
歴史上むしろそうしたものに媒介されながら進行したのだということも、すでに示唆しておいたとおりである。とこ
ろで、そのばあい何よりも必要なのは、「原始蓄積」の経済外的局面が現象のうえでＩ見とのように派手にみえようと
も、あくまで、単に基礎的局面を媒介するものにすぎなかったという事実をはっきりと念頭においていることであろ
う。というのは、さきに「産業資本」形成の基礎的な前提条件として、０一方における貨幣の集積、§他方におけ
る貧民の遊離、この二つをあげておいたが、しかしそれらの事実だけならば、実は世界史上のどの時代またどの地域
にも見出されたのであって、このことからでもわかるように、それらの両条件の存在だけからして直ちに「産業資本」
の形成が必然化されるなどとは、とうてい考ええないからなのである。このことは、古代や中世とはいわずとも、「産
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業資本」の歴史的形成がすでに開始されつつあった近世初期の西ヨーロッパ諸国においても十分に確認できる。すな
わち、この時期の西ヨーロッパ諸国は、一方ではどこにも富豪の姿がみられ、他方では到るところ貧民の群にみちて
いることによって特徴づけられていたにもかかわらず、「産業資本」の形成は必ずしも、どこでもイギリスのように順
調であったわけではなかった。それどころか、たとえばスペインだとか、南ドイツだとか、オランダなどでは、ある
点ではそうした両条件にむしろ十分に恵まれていたと見なければならないにもかかわらず、「産業資本」の形成がいち
匕るしく順調を欠き、あるいは停頓状態におちいってしまったことは、とうてい否みえない。であるとすれば、以上
の両条件を一つに結びつけ、「産業資本」を形成せしめていく基本的な事態は、たんなる経済外的な強力などではなく、
どうしてもなんらかの経済的過程のうちにそれを求めねばならないことは明らかであろう。それでは、０集積され
た貨幣と、圏V離された貧民、この両者を結びつけて「産業資本」に形成することを可能かつ必然ならしめるような
経済的過程とはいったいどういうふうなものであったのだろうか。われわれが「産業資本」の形成の跡を歴史的に追
究していこうとするぼあい、どうしてもまずこうした問いに直面するのである。
＊ この点に関連して、ソムバルトの周到な史実追究を参照。W. Ｓｏｍｂａｒｔ｢
Ｄｅｒ ｍｏｄｅｒｎｅ Ｋａｐｉｔａｈｓmｕｓ｢ Ｖｅｒｍｅｈｒｔｅ
Ａｕｆｌ.｢ １９１６｢
１／２｢ ＳＳ. ５８１ ｆｆ ７８５ ｆｆ.
＊＊ それらの史実に関しては、さしあたり次の諸研究を参照すべきである。スペインについてはＥ. Ｊ. Hamilｔｏｎ｢
Ｔｈｅ Ｄｅｃｌｉｎｅ ｏｆ
Ｓｐａｉｎ｢ Ｅ. Ｍ. Ｃａｒｕｓ-Wilｓｏｎ（乱・）｢ ｂｓｓａｙｓ in Ｅｃｏｎｏｍｉｃ Ｈｉｓｔｏｒｙ｢ Ｉ｢ １９５４.オランダについては、Ｃ. Ｈ. Wilｓｏｎ｢
Ｔｈｅ Ｅｃｏｎｏｍｉｃ
Ｄｅｃｌｉｎｅ ｏｘ ｔｈｅ Ｎｅｔｈｅｒｌａｎｄｓ｢
Ｃａｒｕｓ-Wilｓｏｎ（ｅｄ.）｢ ｏｐ. ｃｉｔ.南ドイツについてはＲ. Ｅｈｒｅｎｂｅｒｇ｢
Ｄａｓ Ｚｅｉｔａｌｔｅｒ ｄｅｒ Ｆｕｇｇｅｒ｢ ２ Ｂｄｅ.
（英訳Ｃａｐｉｔａｌ ａｎｄ Ｆｉｎａｎｃｅ
ｉｎ ｔｈｅ Ａｇｅ ｏｆ．Ｒｅｎａｉｓｓａｎｃｅ） ; Ｊ. Ｓｔｒｉｅｄｅｒ｢ ｏｔｕｄｉｅｎ ｚｕｒ Ｇｅｓｃｈｉｃｈｔｅ ｋａｐｉｔａｌｉｓｔｉｓｃｈｅｒ Ｏｒｇａｎｉｓａｔｉｏｎｓ-
ｆｏｒmeｒly ２. Ａｕｆｌ.｢ １９２５ ;松田智雄『近代の史的構造論』、など。
そうした「産業資本」の原始的形成を可能かつ必然ならしめるような基礎的な経済的過程は、いったいどういうも
のか。この点について、現在きわめて大づかみには二つの理論的立場が分かれている。すなわち、０「貨幣経済の発
達」をもって「産業資本」の歴史的生成を説明しようとするもの、⇔「中産的生産者層の両極分解」として「産業資
本」の原始的形成を理解しようとするもの、この両者である。いま少し詳しく説明してみると、こうなろう。
戟@まず、第一の立場の言おうとするところは、おおよそ次のとおりである。近代（すなわち「資本主義」の時代）
以前には、現物だけでもって事をすませていく「自然経済」Ｎａｔｕｒalwiｒｔｓｃｈａｆｔ｢ ｎａｔｕｒal ｅｃｏｎｏｍｙなお多かれ少なか
れ優勢であるが、これに対して、交換の媒介物として貨幣を使用する「貨幣経済」（ｊｅｌｄwiｒｔｓｃｈａｆｔ｢ ｍｏｎｅｙ ｅｃｏｎｏｍｙが
しだいに発達をとげて、ついに社会の全面を支配するように。なる。こうした「貨幣経済の発達」の結果として「産業
資本」が生まれ、「資本主義」の発達がおこなわれるのである、と。なお研究史上、この立場では、「貨幣経済」とい
う語がいつしか「商業」Ｈａｎｄｅｌにおきかえられてしまい、したがって「貨幣経済の発達」は「商業の発達」に、さら
にすすんでは、そうした商業の基盤のうえに展開される「商業資本の発達」にさえ等置されるようになってくる。そ
して、そのような「商業資本」が発達の極、ついに「産業資本」に成長するのだ、というのである。この立場は、後
段でもふれるように、近来ますます批判の対象となってきてはいるが、しかしその根本的な考え方は現在でもいろい
ろな形で地下水のように広くかつ深く行きわたっており、その点からしていまなお通説の地位にあるといってもよい。
求@これに比べて、第二の立場はむしろ、「貨幣経済」あるいは「商業」という語の通常の用語法があいまいで多義
的であることに対する批判から出発している。そして通例の用語法における「貨幣経済の発達」が歴史上、いな近代
の「原始蓄積期」においてさえ「産業資本」の成長と必ずしも平行していないこと、またいうところの「商業資本」
の「産業資本」への成長が史実として必ずしも十分に実証されえないこと、こうした点を指摘したうえで、「産業資
本」の原始的形成過程を次のように説明するのである。すなわち、封建制（＝封建制的生産様式）の崩壊過程のなかか
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ら生じてくる広汎な「中産的生産者層」（＝中小の商品生産者としての農民層および職人層）が、さらにしだいに貧富
の両層に分化し、そのうち、貧乏で独立の営みをなしえなくなった人々は富裕な生産者のもとに賃銀労働者として雇
われ、富裕な生産者は産業資本家となる。こうした「中産的生産者層の産業資本家および賃銀労働者への両極分解」
こそが「産業資本」の原始的形成過程における基軸的事実にほかならぬ、と。この第二の見解は近来しだいに有力な
ものとなりつつある。
このような二つの立場のうち、理論的にまた実証的にみて、いったいいずれを正しいとすべきであろうか。このこ
とは、「産業資本」の形成過程の経済史的な追究に関連して、現在もっとも重要な問題となっているといってよい。そ
こで、本章では、この問題におげる主要な論点を史実に即して説明していくこととしよう。
＊ そうした両説のあいだに、種々なニュアンスの相違を含む中間的な立場もありうることは、―ちろんである。しかし、基本的
な論点は右の両説の説明で十分につくしうると思うので、ここでは紹介しないこととする。また、そのほかに、およそ理論的
な把握を斥けて、ひたすら実証の面に止まろうとする立場もありうるわけであるが、ここではさしあたり論外において差支え
ない。
＊＊ 「自然経済」および「貨幣経済」という概念についてのここでの説明は、おそらく読者たちに何ほどかあいまいな感じを残す
丶丶丶丶丶
ことだろうと思う。しかし、実はここではそれでよいのである。この両概念が根深いところであいまいさを含んでいる点に、
むしろ後段で詳述するように、研究史上の問題が存するからである。こうした点を突いたものとして、さしあたってＭ. Ｍ.
Ｐｏｓｔａｎ｢ Ｔｈｅ Riｓｅ ｏｆ ａ Ｍｏｎｅｙ Ｅｃｏｎｏｍｙ｢
Ｃａｒｕｓ-Wilｓｏｎ｢ｅｃ」)｢ ｏｐ. ｃｉｔ.をみよ。
＊＊＊ もちろん「貨幣経済」と「商業」とは同義でない。たとえば、「貨幣経済」はあるばあいは生産も含んでいるが（「産業資本」
や「商品生産」はもちろん「貨幣経済」に属する）、「商業」はそうでないからである。また、念のために指摘しておくと、「商
業」は「流通」とも必ずしも同義でない。正確にいえば、流通が、商品生産の一契機として存在するのでなく、一定の条件の
もとに生産に対してそれだけが相対的に自立化しているとき（単なる流通’・）、「商業」とよばれるのである。この用語法は後段
で必要となるから記憶しておいてほしい。
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