*二 商人の活躍とその問屋制前貸 １１ 前期的資本
経済史学が現在までに明らかにしたところによれば、「貨幣経済」（あるいは「商業」と「金融」などといってもよい）
の発達およびそれを基盤に種々な姿をとって成長する「商人」たちの活躍は、決して近代にのみ特有な現象ではなく、
多かれ少なかれ世界史上のあらゆる時代と地域にわたって見いだされることが実証されている。もし、商人たちによ
る「利潤追求の営み」をすべてひとしく「資本」とよぶとすれば、「資本」は、「産業資本」という独自な形態をこそ
欠くとはいえ、「商業資本」や「高利資本」などの姿では「貨幣経済」と手を携えつつ、きわめて古くから存在したの
46
47
ｉ
第２章 産業資本の形成
−−１−−−−−『−−−−−− −
−‐‐−ｉ−
−−――
ＩＩ−‐
であった。やや誇張して表現すれば、その存在は「人類の歴史とともに古い」とさえいうこともできるであろう。と
ころで、このように「資本」一般の歴史は極めて古いものであるにもかかわらず、近代以前の諸時代には、宀産業資
本」という独自な形態がまさしく欠如していたという事実の歴史的意味は、すでに第一章でおこなった説明を想起す
れば容易に了解できるはずだと思う。すなわち、近代に独自な生産様式たる「資本主義」が、商品生産の一般化とい
う土台のうえに「産業資本」を不可欠な基軸として構成されているのに対比して、近代以前の諸時代における生産諸
様式はすべて、何らかの形の共同体を土台としてうちたてられた「奴隷制」、「封建制」などであって、「人類の歴史と
ともに古い」といわれる「商業資本」および「高利資本」などの「資本」諸形態はそうした生産諸様式のうえに、あ
るいはその外側から、ただ寄生するにすぎないような性格のものだったのである。われわれは、このように近代以前
の生産諸様式に寄生するという性格をもち、かつ歴史的にきわめて古くから見いだされる「資本」諸形態を、近代に
独自な「産業資本」およびそれに従属する「資本」諸形態からはっきり区別して、とくに「前期的資本」とよぶこと
＊ マ。クスーヴェーパーの有名な表現（ウェーバー、梶山力・大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩
波文庫、上、五二−四頁）。なお、このような事実について、一般的にはＭａｘ Ｗｅｂｅｒ｢ Wiｒｔｓｃｈａｆｔｓｇｅｓｃｈｉｃｈｔｅ｢
ＩＩ.-ＩＶ. Ｋａｐｉｔel
（ウェーバー、黒正・青山訳『一般社会経済史要論』上、第二章、下、第三−四章）を参照。
＊＊ 前出、第一章、ニー四、六を参照。
＊＊＊ 近代以前の生産諸様式のもとにおいても、もちろん部分的には商品生産があらわれてくる。しかし、そうしたぼあい、前述
したように、「貨幣経済」あるいは「商品流通」との関係は、生産様式のいわば表面をかすめて通るだけであって、基軸をなす
生産関係の内部にまで立ち入り、その基本的性格に影響をあたえるようなことはないのである。
さて、この「前期的資本」が、生まれながらの寄生的性格のために、近代の「資本主義」に独自な「産業資本」（お
よびそれに従属する「資本」諸形態）のばあいとは、本質的に異なった法則に従うものであることはいうまでもない。
以下必要なかぎりで、簡単にその点を説明しておくこととする。−「産業資本」が生産に足場をもち、そこから「利
潤」を作りだす（そして他の従属的「資本」諸形態はその一部の分配に与かる）のに対比して、「前期的資本」は本来生
産から遊離しており、生産にそうした自己の足場をもっていない。「前期的資本」は、日あるいは共同体制度に由来
する地域間の価格差を利して「安く買っては高く売り」、そうしたいわゆる両面収取によって商業利潤を獲得するか
（商業資本）、⇔あるいは社会各層における貨幣不足を利して「高利」を貪る（高利資本）のである。もっとも、この二
つは通常同一の商人（＝個別資本）によって兼ね営まれており、その結果、「前期的資本」の繁栄はつねにすぐれて遠隔
地間の貿易に結びつくことになる。ともかく、このようにして「前期的資本」は、本来奴隷所有者や隷農主的地主
（―領主）などの掌中に帰属するはずの余剰生産物を横から一部掠取して、その生産様式本来の組み立てを分壊させ、
あるいは歪める。といって、自分自身も究極には同じ生産様式の土台の上に立っているのであるから、結局は旧来の
生産様式を維持ないし再編制する側に立つようになるばかりでなく、自分自身も「奴隷所有者」ないしは「隷農主的
地主」（＝領主）に転化していくことになる。同時にまた、逆の転化（いわゆる領主商業）をも惹き起こすであろう。こ
のように、「前期的資本」は、生まれながらに保守的な性格を帯びているというだけでなく、むしろつねに支配階級の
一翼を形づくるものであったといわねばならない。
げ
48
＊ 詳細には、拙稿「いわゆる前期的資本なる範疇について」（拙著『近代資本主義の系譜』上、所収、「著作集」第三巻。ただし、
この論文はすでに訂正さるべき部分をいくつか含んでいる）、マルクス『資本論』第三部、第二〇章および第三六章、を見よ。
なお、これに関連してマ。クスーヴェーバーの「賎民的資本主義」Ｐａｒia-Ｋａｐｉtaliｓmｕｓおよび「非合理的資本主義」Ｉｒｒａｔｉｏｎａｌｅｒ ９
｝｛魯ｓｇｒヨ后なる概念をも参照° Ｍａｘ
Ｗｅｂｅｒ｢ Wiｒｔｓｃｈａｆｔｓｇｅｓｃｈｉｃｈｔｅ｢ ＳＳ. ２８６
ｆ.｢ ３０５ ff. (ウェーバー、黒正・青山訳『一般社会 ４
／
jj
第２章 産業資本の形成
『’‐ｌ‐‐‐｜−‐−−‐
経済史要論」下、二〇九−一〇頁、二四三頁以下ごＤｅｒｓ.｢ Wiｒｔｓｃｈａｆｔ
ｕｎａ Ｇｅｓｅｉｌｓｃｈａｆｔ｢ ４. Ａｕｆｌ.[
Ｓ. ９５ ｆ｡
ｍ］ このような「前期的資本」の活躍、またその基盤を形づくる「貨幣経済」の繁栄は、もちろんすでに古代オリ
エントの諸地域にも見られた。前述したエジプトでは、比較的「自然経済」の色彩が強かったようであるが、これに
対比して、いまひとつの重要地域たるメソポタミア（ティグリスＨユーフラテース両河流域）につぎつぎに建設された
バビロニア、アッシリア、ペルシアなどの大治水専制国家では、生産様式は基本的にはエジプトと同一でありながら、
しかもあの（ムラビの法典の内容によっても知られているように、「貨幣経済」の発達はきわめて顕著であった。バビ
ロン、ニネヴェなどの大都市を中継市場として遠隔地間の貿易はいち匕るしく発達し、それに伴って、後代の商業・
金融上の諸制度のうちここにその萌芽を見いださなかったものはほとんどないとさえいわれている。ヘブライの予言
者ナホムが、アッシリアの首府ニネヴェの商人は天の星よりも多く、またその宝は限りない、といっているよう叫、
重要な諸都市には商人たる都市貴族層が形づくられ、高利貸付によって農民たちの保有地を兼併し、地主化していく
現象さえみられた。このようなオリエントの「貨幣経済」の発達は、その西端にあたる地中海東岸フェニキア諸都市。
「海の中にいて満ち足り・…：多くの財宝と商品とをもって地の王たちを富まおり」といわれたティルスやシドンによ
って、はるかな国際的規模にまで押しひろげられた。フェニキア商人の企業心は、東方の諸地方への陸上貿易のみで
なく、地中海の島々、北アフリカの沿岸からイスパニアにいたる海上貿易にむけられ、さらにその船舶は北のかたブ
リタニア、北海におよび、またアラビア湾から全アフリカの周航をあえてしたとさえいわれている。彼らは諸所に植
民地を設け、商館を建てたが、そのもちまえの飽くことを知らぬ営利慾は海上貿易のみに止まらないで、たえず海賊
の営みとまでなって現われた。のちローマによって灰燼に帰せしめられることになるあの北アフリカの大都市国家カ
ルタゴは、もとこのフェニキアの重要な植民地であり、ローマ史を特徴づけるあの大私有地の「奴隷制経営」なども
すでにこのカルタゴの商人的貴族によって先鞭をつけられていたといわれている。
＊ 前出、第一章、三田を参照。
＊＊ 「旧約聖書」ナホム書、二の九、三の一六。 ｀
＊＊＊ Ｍａｘ Ｗｅｂｅｒ｢ Ａｇｒａｒｖｅｒｈａｌｔniｓｓｅ
lm Alｔｅｒｔｕm｢ Ｇｅｓａｍｍｅｌｔｅ Ａｕｆｓ＆ｔｚｅ
ｚｕｒ Ｓｏｚｕ. WiｒｔｓｃｈａｆｔｓｇｅｓｃｈＳＳ. ５７-６０
(ウェーバー
渡辺・弓削訳『古代社会経済史』一〇一−六頁ごＭ. Ｒｏｓｔｏｖｚｅｆｆ｢ Ｔｈｅ Hiｓｔｏｒｙ ｏｆ ｔｈｅ Ａｎｃｉｅｎｔ Woｒｌｄ｢ Ｉ｢ ｐｐ. Ｉｌｌ｢ １６８
ｆ. ; 」.
Ｂｒｅｎｔａｎｏ｢ Ｄａｓ Wiｒｔｓｃｈａｆｔｓｌｅｂｅｎ ｄｅｒ
ａｎｔｉｋｅｎ Ｗｅｌｔ｢ Ｋａｐ. ＩＩ
(プレンタノ、舟越康寿訳『欧羅巴・古代経済史概説』第二章）など
を参照。
＊＊＊＊ 『旧約聖書』エゼキエル書、二七の二五、三三。
＊＊＊＊＊ 」｡ Ｂｒｅｎｔａｎｏ｢ ｅｂｅｎｄａ（ブレンタノ、前掲邦訳書、同個所）。このオリエント諸地方の商品取引においては、厳密な意味での
鋳貨の出現は非常におくれ、あの繁盛なフェニキアの商業もすべて「無貨幣取引」であったとさえいわれているMaｘ Ｗｅｂｅｒ｢
Wiｒｔｓｃｈａｆｔｓｇｅｓｃｈｉｃｈｔｅ｡
ＳＳ. ２１２ ｆｆ.（ウェーバー、黒正・青山訳『一般社会経済史要論』下、七六頁以下）をみよ。この洫からみ
ても、「貨幣経済」なる語の用語法の困難なゆえんがわかるであろう。
求@古典古代の地中海周辺に簇生したあの「奴隷制」的諸都市国家は、いずれも、こうした国際的な「貨幣経済」
（＝沿岸貿易）になんらかの形で接触しつつ生誕したのであった。比較的重要な「都市」はすべて海岸から一日行程以
内に建設されているという事実（ヴェーバーのいわゆる「沿岸文化」Ｋｉｉｓｔｅｎｋｕlｔｕｒ）がよく示すように、古代「都市」
は前述したような、戦士たる土地所有者たちの共同体、という基本的性格に加えて、はしめからなんらか遠隔地間貿
易のための中継市場という性格をも具えていたのであった。あるいは、そうした中継市場としての性格を濃厚におび
た「都市」ほど繁栄したとさえいうこともできるであろう。アテーナイのごときは、その地理的条件のために、市民
の日常生活に必要な穀物をさえたえず輸入しなければならなかったが、これに比べてきわめて農業的な色彩のつよい
ローマにあっても事情は基本的には同じであった。こうした「貨幣経済」のいち早い浸潤が高利貸付を伴いつつ、中
堅市民層の分解と無産市民層（いわゆるプロレタリー）の増大に与って力があったことは、人の知るとおりである。も
ちろん本来の「市民」たちは、商業や金融業にみずから直接携わることを一般に身分にふさわしからずとして避けた
が、しかし実際は奴隷や解放奴隷たちに出資して彼らにそれを盛んに営ませ、莫大な収入をえていた。また、そうし
た奴隷や解放奴隷のなかからは有力な「市民」に成り上がるものさえ現われた。こうした点で目だつのはローマの
「騎士」（エクイテース）とよばれる貴族たちで、「その貪慾は比較に絶している」などともいわれるように、表面を巧
みにつくろいながらも、ローマのあの広大な軍事的征服から生じてくる利得の機会を一つとして見逃さなかった。土
地投機、徴税や公有地の請負から海上貸付、高利貸付、奴隷の売買、それに闘奴興行（奴隷に殺しあいをさせる見世物）
にいたるまで、すべて彼らの致富の対象とならないものはなかった。こうした「貨幣経済」的諸条件のうちから、あ
のローマ史を特徴づける土地と奴隷の集積、つまり「ラティフンディウム」（大私有地）とその奴隷制経営が生まれてき
たのであ。る。さらに帝政期に入って、広大なローマ帝国の版図内に「ローマの平和」がもたらされるとともに、その
内部には地域間商業のための一層よい条件が作りだされていった。そうした商品取引の基本線はもちろん、ローマが
属州各地から種々な方法で収取する貨幣を購買力として再び属州に放出する関係であったが、この線に沿って各地域
には種々な特産物産業が成長していった。きわめて大づかみにいえば、東方とくに小アジアの諸都市は織物その他の
工業製品を、北アフリカの属州は穀物・オリーヴ油・葡萄酒などを、ヒスパニアは諸種の鉱産物などをもたらしたが、
北ガリアの地方もゆたかな農業生産を基礎に鉄器・ガラス器・陶器・織物などの供給をしだいに増大していった。こ
うして帝国版図内各地の「都市」の支配者層は、いち匕るしく「貨幣経済」のうちに捲きこまれ、「。前期的資本」たる
性格をかね具えていたのであるが、またこうした地方諸「都市」の購買力を起点として、さらにその相互のあいだに
複雑な商品取引が展開されていったことももちろんであ抑。ところで、この「貨幣経済」は、西ローマ帝国では三世紀
1?
52
未葉あたりから公役制国家への推転に伴う統制経済の強化によっていちしるしく歪められ、またいわゆる「自然経済」
への復帰の様相を示しは匕めるが、東ローマ（ビザンツ）帝国では、遠隔地間商業とその基盤のうえに活躍する「前期
的資本」の繁栄は、首都コンスタンチノープルを中心に、はるか十世紀半頃までも維持され、シリア（フェニキア）や
ユダヤの商人たちは中世初期には、西ヨーロッパ諸地域にとっても重要な役割を果すこととなった。ことにユダヤ人
は、そうした転換期のうちに、その民族宗教的な特質もてつだって、いわゆる「賎民民族」Ｐａｒiaｖｏｌｋの姿をとって総
体として商人化しつつ、中世ヨーロフ（封建社会の機構の間隙に深く入りこんでいくこととなったのである。
＊ 前出、第一章、三Aを参照。
＊＊ 古典古代の「貨幣経済」については、１Ｖ１. Ｋｏｓtｏｖｚｅｔｔ｢ １
Ｈｅ Hiｓｔｏｒｙ ｏｆ ｔｈｅ Ａｎｃｉｅｎｔ Woｒｌｄ｢ ２ ｖolｓ. ;
」｡ Ｂｒｅｎｔａｎｏ｢ ａ. ａ. Ｏ.｢
Ｋａｐ. Ｉｌｌ｢ Ｖ｡ ＶＩ（ブレンタノ、前掲邦訳書、第三、五、六章ごｉ. J?
ｒａｎｋ｢ １ ｈｅ ｉ」ｃｏｎｏｍｉｃ Hiｓｔｏｒｙ ｏｆ
Ｒｏｍｅy Ｒｅｖiｓｅｄ Ｅｄ.; Ｍａｘ
wｃｕｃｉ｢ i-^ie ｂｕｘｉａｉｅｎ ^ｒｕｎａｅ
ａｅｓ ｕｎｔｅｒｇａｎｇｅｓ ａｅｒ ａｎtｉｋｅｎ XS.ｕlｔｕｒ｢ Ｕｅｓａｍｍｅｌｔｅ
Ａｕｆｓａｔｚｅ ｚｕｒ Ｓｏｚ.- ｕ. Wiｒｔｓｃｈａｆｔｓｇｅｓｃｈ. （ウェ
ーバー、堀米訳「古代文化没落論」河出書房『大思想全集』「ウェーバー」所収ごｒ. W. Ｗａｌｂａｎｋ｢ Ｔｒａｄｅ
ａｎｄ Ｉｎｄｕｓｔｒｙ ｕｎｄｅｒ
ｔｎｅ Ｋｏｍａｎ ｕmpiｒｅ m ｔｈｅ Weｓｔ｢ １
ｈｅ Ｃａｍｂｒｉｄｇｅ ｉＬｃｏｎｏｍtｃ
Hiｓｔｏｒｙ ｏｆ Ｅｕｒｏｐｅy ＩＩ;井上智勇「ローマ経済史研究」などをみ
よ。
＊＊＊ こうした、西ローマ帝国の滅亡からフランク王国カロリンガー期あたりまでの「貨幣経済」の様相とその歴史的評価は、研
究史上大きな問題となってきた。この問題とそれに関する重要な見解については何よりも、増田四郎『西洋中世世界の成立』
岩波全書、同『ヨーロー『社会の誕生』をは匕め、同氏の諸論著を参照する必要がある。
＊＊＊＊ 東ローマ（ビザンツ）帝国の「貨幣経済」についての概観としては、JL. ｒSｒｅｎｔａｎｏ｢
ａ’ａ. Ｏ.｢ ＶＩＩ. Ｋａｐ.（ブレンタノ、前掲邦
訳書、第七章口s＼｡ ｉｖｏｉｚｓｃｎＫｅ｢ ｓ±ｕｇｅｍｅｉｎｅ Wiｒｔｓｃtｉａｊｔｓｇｅｓｃｈｉｃｈｔｅ ｄｅｓ Miｔｔｅｌａｌｔｅｒｓ｢ ＩＶ. Ｋａｐ. (１） ; Ｓ. Ｒｕｎｃｉｍａｎ｢ Ｂｙｚａｎｔｉｎｅ
１ ｒａｄｅ ａｎｄ Ｉｎｄｕｓtｒｙ气／
ｈｅ Ｃａｍｂｒｉｄｇｅ Ｅｃｏｎｏｍｉｃ
Hiｓｔｏｒｙ ｏｊ Ｅｕｒｏｐｅ｢ ＩＩなどを参照。
＊＊＊＊＊ 「賎民民族」なる概念については、Maｘ Ｗｅｂｅｒ｢ Wiｒｔｓｃｈａｆｔｓｇｅｓｃｈｉｃｈｔｅ｢
ＳＳ. ３０５ ff. (ウェーバー、黒正・青山訳、前掲書、３
５
下、二四三頁以下）をみよ。ここで「賎民」と訳されている「パーリア」冫―という語は、もともとインドでカースト制の最下
ｊ
産業資本の形成
第２章
呻
端におかれ、自分はカーストをもたず、したがりて社会的に周囲から全く隔離されている賎民の群を意味した。ところで、中
世ヨーロー（の封建社会内部におけるユダヤ人たちは、宗教上の理由もてつだりて、カースト制のない社会の内部にありなが 54
ら、自分からカースト化し、その結果社会的に周囲から全く隔離されるという顛倒した関係にたった。そうした民族を、ヴェ
ーパーは、「賎民民族」となづけたのである。ところで、ユダヤ人のみとはいわず、「前期的資本」の担い手たる商人層は一般に
何らかの形で自ら「共同体」（ギルドその他）を形づくり、それにより独自な商人身分として多かれ少なかれ「賎民」化する傾向
をもつのをつねとした（極端な一例を示せば、中世ヨーロミ（でユダヤ人と並ぶ金融業者として知られていた「カオール人」
Ｋａwｅｒｔｓｃｈｅは、実は多くイタリアの都市アスティ出身のキリスト教徒でありながら、その地位はユダヤ人にきわめて近かっ
た）。そうした特徴をとらえて、ヴェーパーは「前期的資本」の営み一般を、「非合理的資本主義」とよぶと同時に、ときに
「賎民的資本主義」Ｐａｒia-Ｋａｐｉｔaliｓmｕｓともよんだのである。−なお、古代におけるユダヤ人の経済生活については’ Ｍａｘ
Ｗｅｂｅｒ｢ Ａｇｒａｒｖｅｒｈａｌｔniｓｓｅ
1m Alｔｅｒｔｕm｢ Ｇｅｓａｍｍｅｌｔｅ Ａｕｆｓｄｔｚｅ
ｚｕｒ Ｓｏｚｕ. WiｒｔｓｃｈａｆｔｓｇｅｓｃｈＳＳ. ８３-９３「ウェーバー、渡辺・
弓削訳、前掲書、一五八−七六頁ご」｡ Ｂｒｅｎｔａｎｏ｢
ａ. ａ. Ｏ.｢ ＩＶ. Ｋａｐ.（ブレンタノ、前掲邦訳書、第四章）などをみよ。
求@西ローマ帝国の衰亡とあの民族大移動、それに回教徒サラセン（アラビア大）の西漸や北方ノルマン人の侵寇な
どという社会的不安の幾世紀かのうちに、西ヨーロッパでは遠隔地商業が萎縮の方向にむかったことは掩いがたい。
しかし十、十一世紀にもなる。と遠隔地商業はふたたび、むしろいっそう逞しい姿をヨーロッパの各所に現わしはしめ
た。いわゆる「商業の復活」である。ところでその先駆をなしたのは、東ローマ（ビザンツ）からの「貨幣経済」の影響
をもっともうけやすい位置にあった地中海沿岸の諸地域、なかんずく北イタリアの諸都市で、「アドリア海の女王」と
よばれるにいたったヴェネツィア（ヴェニス）が先頭にたち、ジェノヴァ（ジェノア）が雁行し、さらに、毛織物工業の
繁栄とルネサンス期の絢爛たる芸術をもってしられるフィレンツェ（フロレンス）がこれにつづいた。これらのイタリ
ア諸都市における「貨幣経済」の繁栄は、ほぼ十三世紀にいちおう頂点に達するが、その商業的基礎は何よりも西ヨー
ロッパと地中海東岸のいわゆるレヴ″ント地方（とくにそのアラビア商大たち）との、さらにそれを介してはるかな東
洋諸地方との商品取引の仲立ちにおかれていた。東方からは胡椒を中心とするさまざまな香料や薬味、染料、それに
諸種の奢侈的織物がもたらされ、これに対して西方からの輸出は金・銀・銅などの鉱産物が圧倒的に多く、それに毛
織物その他の工業製品や黒人奴隷などが交えられていた。いわば西ヨーロッパはたえず貨幣（銅も東邦ではそうした
地位にあった）をもって東方の物資を買っていたわけである。こうした商品取引とならんで、金融業ももちろん著し
い発達をとげた。とくにフィレンツェは、毛織物工業とともに、そうした金融業の繁栄の波頭にたち、あの史上有名
なメディチ家を先頭に、フィレンツェの大商人たちは、両替、送金為替から高利貸付にいたるまで、金融業務の網を国
際的に張りめぐらした。たとえば、十四世紀半頃イギリス国王エドワード三世が支払を停止したとき、フィレンツェ
の巨商ペルッツィ、バルディ両家が一挙に倒産しているが、これなど彼らの営みの規模を生き生きと物語るものとい
えよう。イタリア諸都市における「貨幣経済」の発達はさらにアルプスの北へ直接波及していった。東方への莫大な
銀・銅の供給をまかなうものは南ドイツの諸鉱山に他ならなかったからである。こうしてすでに十三世紀にひとたび
繁栄を経過した南ドイツの鉱山業は、さらに十五世紀後半から一段の飛躍を示し、そうした生産的基礎のうえにアウ
クスブルクやニュルンベルクなどの都市には空前の経済的繁栄が現出することとなった。アウクスブルクのフッガー
家その他南ドイツの巨商たちは国際的金融業者としてのしあがり、なかでもフッガー家はフィレンツェのメディチ家
をも凌駕して、十六世紀の六、七〇年代まで全ヨトロと（に圧倒的な金融的支配力をふるった。経済史家はそれをし
ばしば「フッガー家の時代」などとよんでいる。
＊ Ｈ. Piｒｅｎｎｅ｢ Ｅｃｏｎｏｍｉｃ
ａｎｄ Ｓｏｃｉａｌ Hiｓｔｏｒｙ ｏｆ Ｍｅｄｉｅｖａｌ
Ｅｕｒｏｐｅ｢ Ｃｈａｐ. Ｉ （Ｔｈｅ Ｒｅｖiｖal ｏｆ
Ｃｏｍｍｅｒｃｅ） ; Ｄｏ.｢ Ｔｈｅ Ｓｔａｇｅｓ
in ｔｈｅ
Ｓｏｃｉａｌ Hiｓｔｏｒｙ ｏｆ Ｃａｐｉｔaliｓm｡
Ａｍｅｒｉｃａｎ Hiｓｔｏｒｉｃａｌ Ｒｅｖｉｅw｢ １９１４
(ピレンヌ、大塚久雄・中木康夫訳『資本主義発達の諸段階』
「社会科学ゼミナール」剛）、ドープシュ、上原専禄訳注「中世における旧世界の商業の範囲と意義」『社会経済史学』五の二、
55
Jj
産業資本の形成
第２章
卵
などをみよ。なお、こうした点をめぐりて、ピレンヌとドープシュのあいだには注目すべき見解の対立がみられ、研究史上い
まなお重要な問題をなげかけている。これについては、何よりも増田四郎氏の前掲諸論著を参照。
＊＊ 中世イタリア諸都市の商業的繁栄については、さしあたり、Ａ. Ｄｏｒｅｎ｢ Ｉｔａｌｉｅｎｉｓｃｈｅ Wiｒｔｓｃｈａｆｔｓｇｅｓｃｈｉｃｈｔｅ｢ Ｉ｢ Ｋａｐｉｔel
ＩＩ （Ｄｉｅ
wiｒｔｓｃｈａｆｔｌｉｃｈｅ BliiｔｅごＨ. Ｓｉｅｖｅｋｍｇ｢ Ｄｉｅ ｋａｐｉｔaliｓｔiｓｃｈｅ Ｅｎｔwicklｕｎｇ ｄｅｒ iｔalieniｓｃｈｅｎ Ｓｔａｄｔｅｎ im Miｔｔelalｔｅｒ｢ Ｖｉｅｒｔｅｌｊａｈｒｓ-
ｓｃｈｎｊｔ ｊｉｉｒ ｏｏｚ.- ｕ. Wiｒｔｓｃｈａｆｔｓｇｅｓｃｈ.｢ ＶＩＩ｢ １９０９
; Ｒ. Ｓ. 」ｏｐｅｚ｢ Ｔｈｅ Ｔｒａｄｅ
ｏｆ Ｍｅｄｉｅｖal Ｅｕｒｏｐｅ : Ｔｈｅ Ｓｏｕｔｈ｢ Ｔｈｅ Ｃａｍｂｒｉｄｇｅ
Ｅｃｏｎｏｍｉｃ Hiｓｔｏｒｙ ｏｆ
Ｅｕｒ ｏｐｅ y ＩＩおよび、拙著『近代欧洲経済史序説』上のＩ、第一章、「著作集」第二巻、などを参照。
＊＊＊ ロンドンの金融の中心地がいまなお「ロンバード街」冖ｏｓｒｌ∽ｑｇ｛とよぼれているのは、この事実と関連している。ま
た「銀行」を意味するヨーロー（語の語源容〜Ｑふは、もともと両替台のことであり、そうした「布で掩われた机」は彼らの営
業のマークとなっていたのである。
＊＊＊＊ 「フ″ガー家の時代」の南ドイツについては、さしあた。てＲ.
Ｅｈｒｅｎｂｅｒｇ｢ Ｄａｓ Ｚｅｉｔａｌｔｅｒ
ｄｅｒ Ｆｕｇｇｅｒ> ２ Ｂｄｅ.｢ １８９６
; Ｊ. Ｓｔｒie-
ｄｅｒ｢ ｂｔｕｄｉｅｎ ｘｕｒ （jeｓｃｈｉｃｈｔｅ
ｋａｐｉｔａｌｉｓｔｉｓｃｈｅｒ Ｏｒｇａｎｉｓａｔｉｏｎｓｆｏｒｍｅｎ｢
２. ｖｅｒｍｅｈｒｔｅ Ａｕｆｌ.｢ １９２５
;松田智雄『近代の史的構造論』、
諸田実「ヤコプーフ″ガー」（松田智雄編『巨富への道』所収）、拙著『宗教改革と近代社会』、「著作集」第八巻、などを参照。
南方のイタリア諸都市にほぼ雁行して、北方ではいわゆる（ンザ諸都市の商業的繁栄が展開された。リューベック、
（ムブルク、ダンツィッヒなどを中軸にいわゆる（ンザ都市同盟を結成した北ドイツ諸都市の貿易商大たちは、北海
とバルト海をつなぐ商業圏を中心に活躍し、ロンドン（有名な居留地スティールーヤード）、ブリュージュ、ベルゲン、
ノヴゴロッドを四大商業拠点として、塩鰊、干鱈などの水産物、木材、穀物、羊毛、それに鰊塩漬用の塩などをもさか
んに取引した。十四世紀にはイタリア諸都市を凌駕するほどの繁栄を示したといわれる。彼らはもちろん、同時に金
融業も兼ね営み、たとえば十四、五世紀にはイギリスに対して前述のイタリア商人にも劣らぬ金融的支配力をふるっ
ている。他方東方にむかっては、この（ンザ諸都市の商大たちは、史上有名なドイツ人の「東方植民」〇ｓｔｋｏｌｏｎｉｓａｔｉｏｎ
とそれに伴う都市建設の動きに参加し、またその地方の生産物（とくに穀物）の輸出を媒介することによって、東ヨー
ロッパにおけるいわゆる「農場領主制」（グーツヘルシャフト）の成立のために、早くも礎石をおくこととなった。こう
した（ンザ諸都市の繁栄も十四世紀を頂点に、十五世紀ともなれば、「鰊」−南方の「胡椒」にも匹敵するといわれ
る最大の商品−の漁場の西方への移動もてつだって、ネーデルラント商人の東方進出を如何ともしがたく、しだい
に衰頽の兆を示すようになる。
＊ （ンザ諸都市の商業的繁栄については、さしあたってＭ. Ｍ. Ｐｏｓｔａｎ｢ Ｔｈｅ Ｔｒａｄｅ ｏｆ ｔｈｅ Ｍｅｄｉｅｖal Ｅｕｒｏｐｅ: ｔｈｅ Ｎｏｒｔｈ匸Ｔｈｅ
Ｃａｍｂｒｉｄｇｅ Ｅｃｏｎｏｍｉｃ Ｈｉｓｔｏｒｙ ｏｆ
Ｅｕｒｏｐｅ｢ ＩＩ;増田四郎『独逸中世史の研究』、高村象平「独逸『ンザの研究』、などを参照。
―″
とくに、高村氏のその他の関係諸論考に注意する必要がある。
以上見てきたような南方の地中海商業圏と北方の北海・バルト海市場圈とは、もちろん早くから互いヽに関連をもっ
ていた。十三世紀にそうした両者の接合の役割をはたしたものは、フランスの「シャムパーニュの大市」Ｆｏｉｒｅｓ ｄｅ
（ｃｈａｍｐａｇｎｅで、当時そこでは近接した四ヵ所に六つの大市がかわるがわる、ほとんど一年中たえず開かれて、ヨーロ
ッパの各地からは商人たちが隊伍を組んで集結し、盛んな商品取引がおこなわれた。また、その支払や決済の必要か
らそこでは両替もさかんに営まれ、振替（ジロ）や小切手などの制度の端緒さえ見出されたといわれる。十四世紀末葉
あたりからこの大市がおとろえる。そして、なかんずく（ンザ都市と関係の多いブリュージュ（ブルッヘ）がその遺産
をうけついで、国際的中継市場として海路で南と北を結びあわせるようになり、他方内陸へはライン河沿いに南ドイ
ツ商人が進出しはしめた。十五世紀末にはこのブリュージュも衰え、その頃ぐんぐん頭角を現わしつつあったイギリ
スの毛織物輸出商人（いわゆるマーチャントーアドヴェンチャラーズ）たちと関係の深いアツトウェルペン（アントワ
ープ）が、世界市場として前景に現われるにいたった。十六世紀の半頃には、南ドイツの巨商たちもここを活動の中心
とするようになってくる。
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産業資本の形成
第２章
−−−− −−−−−− − −−−−−−
−− −
−Ｌ−−−−−１−−−−１−ｊ−−−―りＩ卩−ｄ−−−−−−３−−ＩＩＩ ＩＩＩ
−− −− ｒ−−−− −−−−− −―ｉ−−ｓ−− ｕ−
1）
＊Ｍ. Ｍ. Ｐｏｓｔａｎ｢ ｉｂｉｄ.とくにシャムパーニュの大市については、Ｈ.
Piｒｅｎｎｅ｢ Ｅｃｏｎｏｍｉｃ ａｎｄ Ｓｏｃｉａｌ
Ｈｉｓｔｏｒｙ ｏｆ Ｍｅｄｉｅｖａｌ Ｅｕｒｏｐｅ｢
ｐｐ. １００ ££｡; Ｅ. ｖｏｎ Ｒｏｏｎ-Ｂａｓｓｅｒｍａｎｎ｡
Ｄｉｅ Ｃｈａｍｐａｇｎｅｒ Meｓｓｅｎ｢ １９１１ ;ブリュージュおよびアントウェルペンについては、冖 58
Ehｒｅｎｂｅｒｇ｢ ａ. ａ. Ｏ.｢ ＩＩ｢
ＳＳ. ３-６８をみよ。
求@十五世紀末葉の地理上の諸発見、とくにコロンブスによる新大陸発見とヴァスコーダーガマによるアフリカ南
端迂回の東インド新航路開拓は、ヨーロッパ’の商業圈を世界的規模にまで押し広げたばかりでなく、ヨーロッパ内部
の商業事情にも徐々にあるいは急激に大きな変化をよびおこすこととなった。史家のいわゆる「商業革命」9mmeｒ-
cial Ｒｅｖolｕｔｉｏｎである。まず旧来の、地中海を通ずるイタリア商人の東方貿易はたちまちにして首座から追いおとさ
れ、これに代ってポルトガル商人が自国のリスボンを起点として東インド貿易の覇者となり、「銀」などを輸出し、豊
富な「胡椒」その他の香料を輸入しは匕めた。これに対比して、新大陸貿易はさしあたりいわゆる中・南米を対象に、
スペイン商人によってその港市セビリャを起点として徐々に展開されていったが、中・南米の地はしだいに莫大な
「銀」を生産するようになり、これが前述の南ドイツの経済的繁栄をつきくずし始めるとともに、海の彼方に工業製
品、なかんずく「毛織物」の厖大な販路を形づくることとなった。以上の二大貿易部門は、「銀」をもっておのずから
接合される。その接合の地点となったものは、当時国際的な中継市場また金融市場であったアントウェルペンにほか
ならなかった。こうして、十六世紀はポルトガルおよびスペインの商人たちの世界的規模における活躍をもって特徴
づけられたといえよう。ところで、十六世紀の末葉には事情はさらに一変する。オランダの独立戦争は北辺の一角に
忽然として、強力な一商業国家オランダを出現させ、それとむすぶイギリスは、アルマダ戦争によってスペインの制
海権に決定的な一撃をあたえた。そうした戦乱の渦中、アントウェルペンの陥落と掠奪は、南ドイツの経済的繁栄の
なごりを一掃するとともに、この世界市場を没落させ、代ってオランダのアムステルダムを先頭にロンドン、（ムブ
ルクが世界商業の前景に現われることとなった。オランダ、イギリス両国は自国産の「毛織物」を元本として、スペ
イン領新大陸の「銀」を大量に獲得し、さらにこの「銀」によって、両国の東インド会社はポルトガルの勢力を追い
つつ、はるか東アジアの天地にまで大きく進出するにいたった。こうして、十七世紀は世界的規模におけるオランダ、
イギリス両国の商業至上権争奪の時代となった。しかし、これもその世紀の末にイギリスの勝利に帰し、さらに十八
世紀半頃にはイギリスは新たな強敵フランスの競争をもしりぞけて、ついに「七つの海」を制覇し、ロンドンは世界
の中継市場、金融市場の地位を確保するにいたる。
＊ 以下の記述については、詳細には、拙著『近代欧洲経済史序説』上のＩ、前編、「著作集」第二巻やＨ. Ｓ６ｅ｢
Ｌｅｓ ｏｒｉｇｉｎｅｓ ｄｕ
ｃａｐｉｔａｌｉｓm＼ｅ ｍｏｄｅｒｎｅ｢ Ｃｏｌｌｅｃｔｉｏｎ Ａｒｍａｎｄ
Ｃｏｌｉｎ（セー、土屋・泉訳「近代資本主義の起源」）などを参照。
さて、いままで述べてきたような、世界史上にみられる「貨幣経済」の発達とその担い手たる商人たちの営みを、
総体として振り返ってみるとき、そのような「貨幣経済」の発達が近世に入ればおのずから「産業資本」を生みだし
てくる、というような見解に対しては、当然に、強い疑問を提出するほかはないであろう。たとえば、古代オリェン
トのばあいをとってみると、なかでもメソポタミア地域に典型的にみられるように、「貨幣経済」の発達は専制君主の
統制下にがっちりと抑えられて、むしろ、広大な専制王国の政治的統一に対して経済的な鍵を与えるものとなってお
り、さらにその間にあって富裕な商人たちは中間的な私的地主に化していくという事実すら推定されている。また、
古典古代のばあいをとってみても、「貨幣経済」の発達はむしろ一般に「奴隷制」の成立と拡大に並行し、それに結び
ついているばかりでなく、ここでも帝政期ローマのあの広大な版図を奴隷主的な皇帝の統一的政治権力のもとに結び
あわせる経済的紐帯の役目を商業が果していたことは明らかである。同じように、中世の西ヨーロッパにみられる
「貨幣経済」の発達や商業の繁栄も、すぐれて「自然経済」的と規定されているあの「封建制」諸関係と、実はむし
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産業資本の形成
第２章
ろ広くまた深く結びついていた。その事情のやや立ち入った分析は後段で行うつもりであるが、少なくともそうした
「貨幣経済」ないし商業のいちしるしい繁栄は、「産業資本」形成の萌芽ともいうべきものをもちろん例外的には伴っ
ていたにしても、全体としては、むしろ反対に、旧来の事情に結びつき、それを維持しようとする傾向を強く示して
いたといわねばならない。たとえば、十三世紀のイギリスにみられるいわゆる古典型荘園（＝封建的土地所有）の形成
と拡延は、同時に「貨幣経済」の発達と結びついて現われており、したがって十四世紀後半以降における荘園制度の
解体は、むしろそうした「貨幣経済」の収縮を伴わざるをえなかった。また、（ンザ諸都市の商人たちが、いわゆる
東方植民に協力することによって、むしろエルベ河以東の地における封建的土地所有の再編と拡大に結びつき、それ
を推進したこともすでに指摘したとおりである。ところで、近世初頭地理上の諸発見によって惹起されたあの「商業
革命」は、研究史上しばしば「近代資本主義の曙光を示すもの」などといわれているが、実際その前後あたりから、
西ヨーロッパの各所には「産業資本」の芽生えが形づくられ、しだいに成長をとげるようになってくる。したがって、
そのころ以後における「貨幣経済」の発達ないし商業の繁栄は、すでにある程度まで「産業資本」の基礎をもち、そ
れと利害をともにし始めるといわなければならない。そのことは、「毛織物」を輸出商品の中心としていたあの新大陸
貿易、とくにイギリスのそれのばあいを考えてみると、よくわかるはずである。しかしまたその間に古い性格の「前
期的資本」の活躍も多かれ少なかれ存続し、織り交ぜられていたことをもちろん見落してはならない。たとえば、当
時繁栄を誇った東インド貿易の事情をみれば、そのことは明らかであろうと思う。ともかく、このようなことがらだ
けでも推測されるように、近世以降の西ヨーロッパのばあいにおいてさえ、「貨幣経済」や商業の発達は必ずしもつね
に「産業資本」の原始的形成を指向し、それを推進していたとはとうてい言いがたいのである。これはなお後段でふ
れるはずであるが、たとえば、絶対王制（＝アンシャンーレジーム）下のフランスでは、宮廷Ｈ官僚貴族たちのほとん
どすべてが商人ないし商人出身者であったとさえいわれているが、そのことからもわかるように、当時の封建的な社
会構成は一面において「貨幣経済」の発達と結びつき、それによって支えられてさえいたのである。また、さきに述
べた近世東ドイツ（＝オストーエルベ）における封建的「領主制農場」（グーツヴィルトシャフト）の成長も、むしろ「貨
幣経済」の発達、つまり（ンザ商人やオランダ、イギリス商人たちの商業的繁栄に結びつき、それによって媒介され
ていたことは明らかだといわねばならない。
＊ こうした点をとくに強調しているのは、たとえばマ″ダスーヴェーバーである。前掲の諸論著のほか、Ｗｅｂｅｒ｡ Wiｒｔｓｃｈａｆｔｓ-
ｇｅｓｃｈｉｃｈｔｅ｢ ＳＳ. ６４-８｢
２８７ ｆ. (ウェーバー、黒正・青山訳、前掲書、上、一四四−五四頁、下、ニー○頁以下）を参照。
＊＊ 後出、匸一、匸二その他をみよ。
＊＊＊ この点に関連して参照さるべきは、前掲のＨｅｎｒi Piｒｅｎｎｅ｢
Ｔｈｅ Ｓｔａｇｅｓ in ｔｈｅ Ｓｏｃｉａｌ Hiｓｔｏｒｙ
ｏｆ Ｃａｐｉｔaliｓm｢ Ａｍｅｒｉｃａｎ Hiｓｔｏ-
ｒｉｃａｌ Ｒｅｖｉｅw｢ ＸＩＸ｢ １９１４
(ピレンヌ、大塚久雄・中木康夫訳『資本主義発達の諸段階』）である。この有名な論文の中で、ピーレ
ンヌは次のような事実の存在を主張している。すなわち、少なくとも中世以降、各経済時代はそれぞれ別々の資本家層をもり
ており、経済時代の推移に際してはそうした資本家層もまた交替する。しかもそのさい、古い資本家層は単純に没落したりす
るのではなくして、地主（＝土地所有者）に転化していく、というのである。ちなみに、彼はそうした推移の時期として、たと
えば、十三世紀、十六世紀をあげている。この点については、なお後段において論及するであろう。
＊＊＊＊ さしあたっては、Ｅ. Ｋｏｓminｓｋｙ｢ Ｓｅｒｖｉｃｅｓ ａｎｄ
Ｍｏｎｅｙ Ｒｅｎｔｓ in ｔｈｅ Ｔｈｉｒｔｅｅｎｔｈ Ｃｅｎｔｕｒｙ｢ Ｅｃｏｎｏｍｉｃ Hiｓｔｏｒｙ Ｒｅｖｉｅw｡ Ｖ｢
１９３５（拙稿「イギリス荘園の研究に関する最近の一傾向」『経済学論集』九の十）および、Ｍ. Ｍ. Ｐｏｓｔａｎ｢
Ｔｈｅ Ｆｉｆｔｅｅｎｔｈ Ｃｅｎｔｕｒｙ｢
Ｅｃｏｎｏｍｉｃ Ｈｉｓｔｏｒｙ Ｒｅｖｉｅw｢ ＩＸ｢ １９３９
(拙稿「ポスタン「十五世紀」」経済学論集、十のＩ）などを参照。以上二つの拙稿はいずれ
も論文集「近代資本主義の系譜」後編、「著作集」第三巻に収録。
＊＊＊＊＊ たとえば’ Ｈｅｎｒi Ｓｅｃ｢ ＦｒａｎｚＧｓｉｓｃｈｅ Wiｒｔｓｃｈ.ａｆｔｓｇｅｓｃｈｉｃｈ.ｔｅ｢ Ｉ｢ ＳＳ. １１８
ｆｉt.; Ａｌｂｅｒｔ Ｂｕiｓｓｏｎ｢ Ｌ'ａｓｃｅｎｓｉｏｎ ｄ'ｕｎｅ ｆａｍｉｌｌｅ
ｂｏｕｒｇｅｏｉｓｅ ａｕｘ ＸＶＲ ｅｔ ＸＶＩＲ ｓｉｅｃｌｅｓ : leｓ
Ｄｕｐｒａｔｓ｢ Ｒｅｖｕｅ ｄｈｉｓｔｏｉｒｅ
４ｃｏｎ. ｅｔ ｓｏｃ１９５５｢ Ｎｏ. １（紹介、拙稿「ピュイ″ソン『十五、
六世紀におけるブルジョアの身分的上昇』」「社会経済史学」五の十一、「著作集」第三巻）などを参照。
Ｆ
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第２章 産業資本の形成
＊＊＊＊＊＊ グーツヴ″ルトシ″フトに関しては前掲の諸文献のほか、ここではとくに、柴田三千雄「グーツヘルシ″フトの成立」
『歴史学研究』匸二七、をあげておく。なお、この問題については後段、一四で改めて論及するつもりである。
このようにして、’われわれはどうしても次のように考えねばならないことになる。すなわち、司貧幣経済」の発達や
商業の繁栄というような一般的事実からただちに「産業資本」の原始的形成を推論したり説明したりすることは、と
うてい不可能であ冷‥‘と。もちろん近世に入れば、古い「貨幣経済」や商業と並存しつつ、「産業資本」の生誕と成長
が開始されるが、やはりそのばあいにも、後者が前者のおのずからな帰結であるなどとはとうてい結論できない。つ
まり、「産業資本」の原始的形成を説明するためには、単なる「貨幣経済」の発達や商業の繁栄などという一般的な事
実だけでは少なくとも不十分であり、したがって、いま少しく立ち入って「産業資本」成立の経路や条件をいっそう
具体的に追究してみることがどうしても必要となってくる。
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