*四 産業資本形成の歴史的条件
１９ 農村工業の展開と土地制度
さて、この第二章「産業資本の形成」では、「産業資本」の歴史的形成に関する二つの相対立した学説を紹介し、か
つ基本的な史実に即して検討したあげく、そのうち、「産業資本」形成の基本線を「農村工業」を基盤として展開され
る「中産的生産者層の両極分解」としてとらえる方が真実に近い、という見解をしだいに前面に押しだしてきた。そ
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産業資本の形成
‐−‐‐
ＩＩ丶−−−・−
‐−−‐‐−
。して、そのばあい、基本的な過程は次のように説明Ｊれた。まず、封建的な古い社会諸制度の支配の下で、それに抗
しつつ、「農村」を基盤に新たな生産諸力の発達（＝局地的市場圏の形成と農村工業の展開）がおこなわれ、その担い手
として多かれ少なかれ事実上独立自由な「中産的生産者層」（＝小商品生産者としての農民および職人）が姿をあらわ
す。｝そ七てこの「中産的生産者層」の両極分解（＝資本家と賃銀労働者への階級分化）のかたちで「産業資本」がしだ
いに形成される。ところで、「産業資本」は生産諸力のいっそうの発展に推進されつつ、古い封建的な社会諸制度を掘
りくずしながら進展し、ついに古い生産様式としての封建制とそれにもとづく社会構成を揚棄して、新しい、自己の
生産様式たる資本主義とそれにもとづく社会構成を勝利せしめるにいたった、と。
こうした見方そのものは、すでに詳述してきたとおり、史実に即して見てほぼまちがいのないところと思われる。
ところが、実はそのばあい、具体的な歴史過程のいま一つの重要な面、いわば楯のいま一つの面が、いままでたえず
捨象されてきたということを、ここで想起したい。つまり、古い封建的な社会諸制度が問題とされるばあい、ほとん
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どつねに「産業資本」の発達によて掘叫ぐずされＩされていくいう面のみがいそう前景に押
しだ。されてきた。しかし、いうまでもなく、それでは十分に具体的ではない。つまり、こうである。すでに繰り返え
し述べたことであるが、資本主義の発達（＝産業資本の形成）は決してなんらの歴史的前提もなしに、いいかえると、
社会的な真空のなかでおこなわれたものではなかった。さしあたっては、封建制のただ中から、それに抗し、古い支
配や組織を掘りくずしつつ出てきたのであり、したがって、古い封建的な社会諸制度（正確にいえば封建的生産諸関
係）は、ただ受動的に掘りくずされるというだけではなく、むしろ他面では、それが現存するかぎり資本主義の発達に
対する一つの「自然的な制限」（マルクス）として産業資本の歴史的形成の度合を大きく左右し、条件づけたのである。
いま少しくいいかえてみる弋こうなるであろう。資本主義の発達（＝産業資本の形成）は、その端緒をなす「中産的
第２章
144
生産者層」の成立をも含めて、すでに封建制の内部に包摂しきれなくなった新しい生産諸力の成長ｉ資本主義はそ
れに照応する生産諸関係であるＩを基礎としてのみおこなわれうるし、またそれなくしては、いかなるばあいにも、
資本主義の発達がありえないことも明らかである。ところで、封建制の内部に資本主義（さしあたってはその端緒を
なす「中産的生産者層」）がいったん芽生えたばあい、それは生産諸力をいっそう成長させ、古い諸制度を掘りくずし
つつ進展しようとする衝動を示すが、また同時に、封建制がなんらか現存するかぎり、その強さに応じて一定の線で
進展をはばまれ、あるいは逆に押しもどされてしまう。こうして一方では、封建制の廃棄が資本主義の発達にとって
一つの必要条件（十分条件ではない）となるとともに、他方では、封建制の「内部的構造の堅固さ如何」、つまり古い支
配とその組織の強さの如何が、それぞれの国における資本主義の発達（＝産業資本形成）の度合や運命を決定すること
にもなるのである。
い＊ 世界史の上で、資本主義の発達（＝産業資本の形成）が自生的におこなわれたのは、やはり封建制の内部からだけであ。た。し
かし、封建制以外の生産諸様式のうえでも産業資本の形成が全然ありえなか。たということはできない。したがりて、さしあ
たって、といっておいたのである。そうした、いわば非自生的な産業資本の形成については、他の関連で崘匕られねばならな
、。＊＊ このばあい、政治史的な観点もまた考慮のうちに入れられている。しかもなお、世界史を通ずる資本主義発達の基本的な線
’ヽのみが問題とされているのであり、経済・政治・軍事などのいずれの側面にせよ、偶然的な諸事情は、たといある一国の運命
―を左右するほどのものであったにせよ、捨象されている。こうした概説では当然のことであろうが、念のため一言しておく。
ごこのことは、われわれがいままで見てきたヨーロッパ各国のさまざまな史実を、いま一度比較史的な観点から簡単
に考察してみるだけでも、いっそう納得がいくことと思似。まず、介冫佰に列。かは「中産的生産者層」の成立とその両
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極分解にＩよな産業跖荊衂形吩はほとんど無比といいうるほど順調であり、古い封建的な社会諸制度の根をつぎつぎに
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第２章 産業資本の形成
−−‐‐
掘りくずしつつ、市民革命を経て、ついに自生的な「産業革命」を世界史の上でまっさきに展開するにいたった。こ
れのほぼ対極をなすものはイタリアの諸「都市」国家ヽとくにフぐレンツエであった・ここでは中世末期にヽ「都市」 146
を基盤とする「問屋制度」の姿で、早くも工業の顕著な繁栄を示しながら、ほとんど「農村工業」を展開することがな
いまま衰頽におちいり、したがってその後における資本主義の発達もいち匕るしく停滞的かつ後進的となるほかはな
かった。他の国々は、もちろんさまざまなニュアンスの相違を示してはいても、だいたい両者の中間の姿をとってい
たといってよい。フランスでは、「農村工業」を基盤とする「産業資本」（＝マニュファクチャー）の形成はブルボン絶
対王制の支配の下でかなりジグザグな道をたどりながらも、結局十八世紀に入ってのちは順調な進展をとげ、市民革
命の経過後自生的に「産業革命」を展開するにいたった。ところで、南ネーデルラント（現在のベルギーおよび北フラ
ンスの一部）では早くも十四世紀半頃以降、ほとんどイギリスに匹敵するほどの「農村工業」の繁栄と、それを基盤と
する「産業資本」（＝マニュファクチャー）のそうとうな成長をみたのであるが、オランダ独立戦争の渦中スペイン軍の
占領下におかれた頃からのちは停滞におちいり、その遺産はイギリス、フランス、オランダなどにうけつがれていく。
しかも、そのうち最大の遺産継承者となったオランダ（＝独立後の北ネーデルラント）では、とくにライデンの毛織物
工業などに明瞭にみられるように、「農村工業」の展開は抑えられて、工業は「都市」地域にのみ萎縮しながら、これ
また結局衰退のうちにおちいってしまう。スペインでも、とくにカスティリャ地方では、十六世紀半頃を頂点に「農
村工業」がかなりの繁栄をとげ、マニュファクチャーの分出もみられたようであるが、それもその世紀の末頃から衰
頽におちこんでしまった。西南ドイツや西北ドイツでも「農村工業」はかなりの展開をとげたが、「問屋制度」の支配
下に長く停滞の状態を脱しなかったし、ことに東ドイツのグーツヘルシャフト（＝農場領主制）の支配する地域では
「農村工業」は苛酷きわまる「問屋制度」のもとにおかれて、おそろしく萎縮した相貌を呈するにいたったことも、
周知のとおりである。
＊ 拙稿「近世経済史上における農村工業」論文集『近代資本主義の系譜』後編所収、「著作集」第三巻、参照。
＊＊ イタリアでも、ジェノヴ″およびその周辺ではやや事情が異なっていたのではないかとも思われる。ギルド規制に支えられ
た「問屋制度」から逃れて、自由に営業をおこなおうとする絹織布エたちの「都市」からの流出は、ここでもみられた。しか
し、彼らの多くは近傍の「農村卜ではなくて、南フランスのリヨンへの移住をえらんだようである。Ｈ. Ｓｉｅｖｅｋｉｎｇ｢ Ｄｉｅ
Ｇｅｎｕｅ-
ｓｅｒ Ｓｅｉｄｅｎｉｎｄｕｓｔｒie im １５. ｕｎｄ １６. Ｊａｈｒｈｕｎｄｅｒｔ｡
Ｓｃｈｍｏｌｌｅｒｓ Ｊａｈｒｂｕｃｈ｢ ＸＸＩ｢ １８９７.
＊＊＊ Ｋ. Ｈａｅｂｌｅｒ｢ Ｄｉｅ Wiｒｔｓｃｈａｆｔｌｉｃｈｅ
Ｂｌｉｉｔｅ Ｓｐａｎｉｅｎｓ im 16. Ｊａｈｒｈｕｎｄｅｒｔ ｕｎｄ
ｉｈｒ Ｖｅｒｆ ａｌｌ ^ １８８８｢ ＳＳ.
５２-６３ ; Ｍ. Ｊ. Ｂｏｎｎ｢ Ｓｐａ-
ｎｉｅｎｓ Ｎｉｅｄｅｒｇａｎｇ wａｈｒｅｎｄ
ｄｅｒ Ｐｒｅｉｓｒｅvｏｌｕｔｉｏｎ ｄｅｓ １６. Ｊａｈｒｈｕｎｄｅｒｔｓ｢ １８９６｢
ＳＳ. ７２-４｢１６４ ; Ｒ. Ｊ. Hamilｔｏｎ｢ Ｔｈｅ Ｄｅｃｌｉｎｅ ｏｆ
Ｓｐａｉｎ｢ Ｅｓｓａｙｓ ｉｎ Ｅｃｏｎｏｍｉｃ
Hiｓｔｏｒｙ｢ ｅｄ. ｂｙ Ｃａｒｕｓ-Wilｓｏｎ.
さて、各国あるいは各地方におけるこのような「資本主義の発達」（＝「産業資本の形成」）の度合の相違、そしてそ
こから生ずるさまざまな歴史的帰結は、基本的には、いったいどのような事情によって招来されるのだろうか。問題
がこのような視点に移されるとき、われわれがいままで執拗に追究してきたような「農村工業」を基盤とする「中産的
生産者層」の両極分解といった事実は、いうまでもなく、もはや十分な説明とはなりえない。むしろ、そうした「産業
資本」形成の動きをさまざまな度合で「制限」するところの古い封建的な社会諸制度（＝封建的生産諸関係）の内部的
構造とそれに照応する支配の強弱もまた問題とされねばならなくなってくる。こうした封建的な諸制度の一つとして、
われわれはすでに、中世「都市」におけるギルド制にしばしば論及してきた。しかし「産業資本」の歴史的形成を阻
止したものは、もちろんギルド制だけではなかった。そのほかに、これまたしばしば示唆してきたとおり、「農村」地
域における封建的な「領主制」（および「地主制」）やその一般的な土台をなす「共同体」（＝封建的共同体）制度−さし
あたり一括して「封建的土地所有制」とよぼうＩがあった。しかも、すでにみたように「産業資本」形成の本来的
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第２章 産業資本の形成
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な基盤がほかならぬ「農村」地域であり、「都市」からそうした「農村」地域にむけて工業生産者たちのおびただしい
流出さえみられたという事実を思いあわせるならば、歴史上「産業資本の形成」をさまざまな度合で制限する古い諸
制度のうちで、この冫刪盻土地所有胼」こそが、そしてその内部的構造や堅固さの如何こそが、もっとも基礎的か
つ重要な意味をもつものであったということは、ある程度まですでにわれわれの了解しうるものとなってきているは
ずである。もっとも、この点に関する詳細な説明は次章での主要テーマの一つとなるので、ここではひとまず割愛す
ることとし、ただ、さしあたって理解を容易にするために、次の簡単な事実のみを指摘しておく。ｌＯイギリスに
おける順調な産業資本の形成過程には、これまた畸形的といってよいほど順調な封建的土地所有制の解体（逆にいえ
ばヨウマンを先頭とする「中産的生産者層」の典型的な成立）過程が照応していた。これに対比して、⇔あのグーツ
ヘルシャフト（＝農場領主制）とよばれる苛酷な封建的土地所有制が強力にうちだされていた同じころの東ドイツ諸地
域では、産業資本の形成は、それによって頑強に阻止されたばかりか、畸形的な姿をとりつつジグザグな道をたどら
ざるをえなかった。この基本的な対抗的事情は、以下たえず念頭においていてほしり。
＊ ここで、基本的には、というのは、さきにも触れたように、さまざまの偶然的な歴史的諸事情がいちおう捨象されていること
を意味する。
＊＊ さしあたって、拙著『欧洲経済史序説』後編、第三章第一節「『農村の織元』層展開の歴史的条件」、「著作集」第二巻、〔追
記・拙稿「西洋経済史講座−緒言」「著作集」第四巻、一五九頁以下〕を参照。
それはともあれ、この第二章において、「産業資本」の歴史的形成についてのさまざまな史実を追究してきたあげく、
どうしても、「資本主義の発達」に関するわれわれの問題的視野をいっそう押しひろげ、「産業資本」形成の基本線そ
のものだけでなく、その進展の度合を左右するさまざまな歴史的諸条件をも合わせて考察しなければならないことが
明らかとなってきた。いま少しく詳言してみると、「産業資本」形成の基本線をただ、「農村工業」を基盤とする「中
産的生産者層」の両極分解、として跡づけるだけでなく、それをそれぞれの国の封建的な社会諸制度（＝封建的生産諸
関係）の内部に位置せしめ、いってみれば、そうした「産業資本」形成の基本線が古い封建的な社会諸制度の内部から
生まれ、それと、経済的利害を根本的に異にするために激しく対立しながら、さまざまな度合と姿で成長をとげ、つ
いにその揚棄を指向するにいたるものとして、すなわち、こうした階級対抗の総体的な過程として、考察しなければ
ならないことが明らかになってきたのである。こうして、われわれの目のまえに「封建制から資本主義への移行」と
いう新しい問題的視野がひろびろと現われてくる。そこでわれわれは章を改めて、「資本主義の発達」過程をこうした
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観点から、生産様式としての封建制から生産様式として政資本主義への移行（社会構成の視点からすれば封建制社会
から資本主義社会への移行）として、いま一度総体として取扱うであろう。そして、以上二章にわたる叙述と説明によ
うて、そのための基本的な準備もまたすでにほぼととのったといえる。
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