まずアジアの北岸一帯は，原則として氷の海で閉ざされているため，一般的な交通手段によっては接近が不可能である。ただ沖合に定着した氷盤と陸地とのあいだに冬期にできた氷塊が，短い夏の期間だけ融けて，沿岸のそこここに狭い水路ができることがある。
ここでとりわけ注目されるのは，世界の大河のなかでも有名なオビ川，エニセイ川およびレナ川の三河川が，いずれもシベリアを通って北に流れたうえ，この海岸に注いでいる点である。したがって，これらの河川は，事実上，世界一般の海上ならびに河川交通体系から切り離されたものとして考えなければならない。そして，さらにシベリアの南には，以上三河川の流域に劣ぬくらい広い地域が，海とつながりをもたない内陸諸河の流域とその周辺に存在している。カスピ海に注ぐボルガ川やシルダリヤ川などが，これらの川の例である。地理学者達は，ふつうこれらの内陸河川の流域を”大陸型”と形容している。
以上にのべた北極圏に属する地域と内陸諸河川の流域とを合わせると，その全体の広がりはアジアのほとんど半分，そしてヨーロッパのほぼ四分の一の部分をふくむことになり，これによって大陸の北部から中央にかけて一連の膨大な地帯が成立する。その北の凍ったシベリアの平原から，南はイラン，バルチスタンの海辺に近い急峻な斜面にいたるまで，これまで海からの交通は絶えて不可能であった。したがって，今までほとんど道路らしい道路もなかったこれらの地方に今後鉄道が開設され，さらに航空ルートが開かれる時代が遠からず来るものとすれば，それはさらに大きな世界の地理的な事実および人間とのかかわりにおいて，まさに革命的な出来事といえるだろう。それで我々は，以上にのべた巨大な地域を，これから大陸の心臓地帯(the
Heartland of the Continent)と名づけることにしたい。
このハートランドの北部，中央部および南部は，海抜にしてせいぜい数百メートル内外の平野部でありヽこの地球上々も最大の低地帯のなかにヽ西部シベリアとトルキスタンと，それからヨーロッパに属するボルガ川の盆地一帯がふくまれる。ウーフル山脈は長さは長いが，しかしながら高さのほうはたいしたことがなく，カスピ海の北約三〇〇マイルのところで終わり，シベリアからヨーロッパにいたる大きな入口を残している。この広大な平原のことを，我々は大低地帯とよぶことにしたい。
この大低地帯の南のほうのふちは高原地帯につながっているが，その平均海抜は約0.5マイルで，山々の尾根の高さは1.5マイルぐらいである。そして，その大きな背中の上に乗っているのがヽペルシャ，アフガニスタンおよびバルチスタンという三つの重要な国である。便宜上我々は，いま仮にこの高原地帯を一括して，イラン高原と名づけておくことにしよう。すると，いわゆるハートランドは，北極海と内陸以外に流れこむ川をもたない地域という意味合上，当然大低地帯ならびにイーブン高原のほとんどの部分をふくむことになる。したがって，それは長く高いイラン高原の屈折した山裾にそって延びており，その先で海抜の低いユーフラテスの盆地と。ペルシャ湾とにつながっている。
いまこころみに，我々の頭のなかで，アフリカの西部の旅に出かけてみよう。まずカナリア諸島からケープペルデ諸島に相当する緯度のあたりの海岸は，ほとんど無人の砂漠であり，これがずっと長いあいだ，南にむけてアフリカを周航しようとする中世の船乗り達を悩ませていたことは，想像にかたくない。この地中海の沿岸からはじまって，約一〇〇〇マイルの北部を横切り，ずっとナイルの谷間の手前までつづいている通称サ（Ｉフの砂漠は，必ずしもそのすべてが不毛の地帯だとはいいきれない。現に，その途中にはさまざまなオアシスがある。たとえば，ところどころに切り裂かれた谷間があって，そこでは地下からにじみ出た水が湧き出ている。あるいはまた，たまたまその山頂に雲をいただく丘陵もある。しかしながら，これらは全体としてみれば，いうにたりない例外であって，この不毛で川のない地帯の総面積は，ほぼヨーロッパのすべてに匹敵する。じつにサハラ砂漠こそは，この世界で最も断絶のない自然の境界地帯である。人類の全歴史をつうじて，これが白人の住む世界と黒人の住む世界とを分けへだててきた。
サハラとハートランドのあいだには，アラビアという中間地帯がある。ナイルの渓谷の岸辺は，その西側がシビアとよばれ，その東側はアーフビアとよばれる。そして，ユーフーフテスの下流一帯からイランの山々の麓にいたるまでの地域がアラビスタンとして知られるが，これはアーフブの土地という意味だ。したがって俗にアーフビアとよばれる地方が，ナイル川からユーフーフテス川の先にいたるまで約八〇〇マイルにわたって広がっているとみることは，これらの地方的な習慣と完全に一致する。
アレッポの北，トロス山脈の麓からアデン湾にいたるまでの距離は，一八〇〇マイルを下らない。そしてこのアラビアといわれる地方の約半分は砂漠であり，残りの約半分は降雨量の極めて乏しい草原地帯である。その緯度はサハラとたいして変わらないが，しかしながらアラビアはサ四フよりも生産力に富み，また相当数のベドウィンとよばれる遊牧民族を養っている。その上さらにアラビアには，比較的大きなオアシスがあり，またしたがって人口の多い都市ないしは集落がある。しかしながら，アラビア地方をハートランドとサハラの両地方から区別する最大の特徴は，じつにこれが外洋につながる三つの大きな水路をもっている，ということだ。すなわちナイル川，紅海，ならびにユーフラテス川から。ペルシャ湾を経てアラビア海に出るルートがそれである。
ただし以上の三つの道筋のどれを利用しても，不毛な乾燥地帯を完全に避けて通ることはできない。ナイル川は，地中海からはじまって，砂漠のなかを第一の滝まで溯航できる。もっともアスワンの閘門が設置された今日では，さらに第二の滝まで行けるようになった。ただし，それでおしまいである。またユーフラテス川が航行できるのは，やっと地中海から数百マイルも離れたところまでにすぎない。現在ではむろんスエズ運河の開通によって，地中海と紅海とがつながっている。しかしながら，過去においてこのルートによる交通をさまたげていたものは，スエズ地峡ばかりではない。ここでは貿易風による気流の影響で，常に強い北風が紅海の北の端から吹きつけている。のみならず，紅海のなかには岩礁が多いので，今でも帆船は，運河をめざす北向きの航海をあまりやりたがらない。というわけで，この運河は，スチームーエンジンを装備した船以外の船にとっては，さしあたり無用の長物にちかい。以前の紅海から地中海に出るコースは，紅海西岸のクセールから砂漠を通ってナイル川のほとりのケナに出，ここからさらにナイル川をくだったものだった。かつて100年以上も前にナポレオンがエジプトとパレスチナを侵略した際，インドからわざわざエジプトに送られた英国の陸軍が通過したのも，やはりこの経路だった。
以上にのべたところからも，さしあたりいえるのは，ハートランドとアラビアとサハラの三者が一帯となって，船乗りの人びとにとっては接触が不可能な，非常に幅の広い湾曲したベルトを構成している，ということである。ただ例外は，先にいったアラビアの三つの水路だけである。右のベルトは，北極海から大西洋にいたるまで，広い大陸を完全に横断している。それはアーフビアの部分でインド洋に接触しているため，その他の大陸の部分は，それぞれ凍らない海にむかって流れる河川をもつ三つの別々な地域にたがいに分けられることになる。それは，
@太平洋およびインド洋の沿岸地帯
Aヨーロッパの諸半島および島嶼群と地中海
Bサハフから南のアフリカの巨大な岬
である。
最後にあげたものは，前の二つと非常に重要な点で異なっている。その大きな川――ニジェール，ザンベジおよびコンゴなど――や，また比較的小さな川――オレンジ，リンポポなど――は，いずれも内陸の台地を流れた後，その下流で急激に落下して，あとは比較的に短い距離で海に達している。ということは，すなわち海岸の低地が一般的に狭いことを意味する。これらの川の上流の部分は，約数千マイルにわたって航行が可能である。けれども，完全に外洋の交通と切り離されているという点では，シベリアの川と変わりがない。また，このことは，第二の滝より上流のナイル川についてもあてはまる。以上の理由から，我々はサでフより南のアフリカの内陸地帯を第二のハートランドとみなすことができる。以下これを，アジアとヨーロッパをふくむ北のハートランドと区別するために，仮に南のハートランドと名づけることにしよう。
以上二つのハートランドは，緯度の非常な違いにもかかわらず，驚くほど似た特徴をそなえている。まず北のハートランドでは，ドイツの北部とバルト海沿岸から満州にいたるまで，おもにマツ科モミの系統の常緑樹から成る大森林地帯がずっとつづいており，あたかもヨーロッパと太平洋岸とを森のリボンでむすんだようになっている。そして，この森林のベルトの南側に開かれたハートランドがあり，ここでは川のほとりか山の上でなければ樹木の姿を見ることができない。この広い，さえぎるもののない土地は，あたかも南米の大草原のように，緑のビロードで森林地帯の南側をふちどっていて，ことに春先など釣鐘草が咲き乱れているさまは，何ともいえず見事である。けれども，それもだんだん南へ行くにつれて，しだいに乾燥地帯化し，草の色も汚らしく，またその数も少なくなってゆく。この時に豊かな，また時に荒涼とした草原地帯を便宜的に総称して，ふつうステップといっている。が，本来この言葉は，むしろハートランドの南に近いトルキスタンやモンゴル地方の砂漠をとりかこむ，必ずしも肥沃とまでいえない土地をさすものとみるのが適当だろう。そして，このステップこそは，たぶん馬の原生地だろうと考えられる。ちなみに，「ふたこぶ・フクダ」の原産地は，さらにステップの南側のほうである。
南のハートランドにもまた大きな草原地帯があるが，それはサハラ砂漠の終わるスーダンの南からしだいにその豊かさを増して，ギニア海岸とコンゴ地方の熱帯樹林帯につながっている。この森林地帯は，完全にインド洋までは達していない。そのかわりスーダンと南アフリカの両草原地帯の中間は，豊かな草の繁った高原のベルトを形成している。そして，このスーダンからベルトとよばれる南アフリカの草原にいたるまでの一連のひろびろとした地域こそは，ゼブラやアンテロープその他の大きな有蹄類の住家になっている。これは北のハートランドに野生する馬やロバにあたるものとみていいだろう。いまのところ，まだゼブラを家畜として飼育することには成功しておらず，したがって南アフリカの原住民達は，荷物を運搬させる動物の使いかたを知らない。けれどもスーダンでは，ずっと早い時代からアラビア産の馬と瘤が一つだけのラクダが輸入されていた。したがって，大西洋や太平洋の沿岸諸国の船舶による河川または沿岸交通に代わるべきものとして，北と南の両ハートランドでは，従来，動物の動力が交通のために利用されていたということができる。ただ，その点では北のほうがずっと進んでいたというだけの話である。
すでに前にみたように，北のハートランドは，イラン高原がずっとユーフラテスの谷間にむかって落ち込むあたりで，何百マイルにもわたってアラビアと接触している。一方，南のハートランドは，その東北隅のアビシニアおよびソマリランドのあたりで，わずかに海をへだててイエメンとよばれる，アラビアのなかでもとりわけ肥沃な南の部分をかかえこんでいる。したがって，アーフビアの砂漠をとりかこむステップは，北から南のハートランドに行くための通過地帯の役割をはたしているわけだ。そして，その先には，さらにヌビアを経由するナイル川ぞいの道がある。これでわかるように，北のハートランドからアラビアを経て南のハートランドにいたるまで，騎馬またはラクダの背中で往来できるような，広々とした草の生えた道がつづいていて，はるか遠くのシベリアからペルシャ，アラビアおよびエジプトを通過して，少なくともスーダンまでは来ることができる。したがって，もしもツェツェ蝿やその他の疫病の原因となるものさえなければ，これらの交通手段を駆使した人びとにとっては，ずっと南の喜望峰の近くまで進出することもあえて絶対に不可能ではなかったろうとおもわれる。
世界島から二つのハートランドとアラビアおよびサハラの部分を取り除くと，あとには二つの比較的小さな地域しか残らない。が，この両地域は，地球の上で最も重要なところである。地中海の周辺からヨーロッパの諸島ならびに付属の島嶼群にかけては約四億人の人びとが住み，さらにまたアジアの南部および東部の海岸諸国――すなわち歴史的な通称によるインド諸国――には，約八億人の人口が暮らしている。したがって，これらの両地域には全人類の四分の三が住んでいることになる。現在の我々のねらいからして，この重大な事実をさらにいいかえれば，つまり世界島の人口の約五分の四までが，面積にしてわずかにその五分のＩくらいのところに暮らしている，といってもいいだろう。
この二つの地域は，さらに他の極めて重要な面でもたがいに似かよっている。まず最初にいえるのは，その河川がいずれも大部分外洋からじかに溯航できるということだ。すなわちインド以東の諸国で直接外洋に流れる大きな川の名をあげれば，インダス川，ガンジス川，イラワジ川，サルウィン川，メナム川，メコン川，ソンコイ川，西江，揚子江，黄河，白河，遼河およびアムール川などをただちに数え上げることができる。そしてこれらの川の多くは，河口から約数百マイルにわたって航行が可能である。かつて英国の戦艦は，揚子江の上流で海から五〇〇マイルの地点にある漢口まで行ったこともある。
これらにくらべると，ヨーロッパの半島部を流れる諸河川は，それほど大きくない。それでも，ダニューブ川，ライン川やエルベ川などは，直接に海につながるかなり多くの交通量をもっている。ラインの上流三〇〇マイルのマンハイムは，戦前かつてヨーロッパの主要な港湾都市の一つだった。そしてＩ〇〇ヤード内外の長さで１０００トン程度の荷物を積める艀が，その埠頭に横づけされていた。それにヨーロッパ全体が半島化されたことは，河川交通の発達を制約する要因にはなったが，反対に，かえって海上交通のさまざまな施設を発展させる結果をみた。
上記の二つの「沿岸地帯」のあいだの類似点は，ただその河川の溯航が可能だというだけにとどまらない。今ここで世界島の降雨量をしめす地図を取り出して，比較的に雨量の乏しい地帯から，山岳の気象的な影響で局部的に降雨のある個所を引き去ってみよう。我々はただちにこれらの沿岸地帯が，いかに農業の経営に有利であるかをみることができる。その降雨量が一般に豊富であることは，平野部でも山岳部でもあまり変わりがない。
インドでは南西の方向から，そして中国の南部では南東の方向から，それぞれ夏の季節風が，海の湿った空気をはこんできてくれる。また大西洋から吹く西の風は，四季を通じてヨーロッパに雨をもたらし，さらに冬のあいだは地中海沿岸地方に雨をふらせる。そのため，両沿岸地帯ではどちらも農耕の条件にめぐまれ，またしたがって沢山の人口をやしなうことができるわけだ。こうしてヨーロッパとインド以東の人達は，農民であると同時に船乗りにもなることができた。が，これに反して両ハートランドとアラビアの大半は耕作に不適で，海上交通にも縁が乏しかった。それで，これらの地方は自然に馬やラクダの機動力にたよるようになり，また家畜や羊などの放牧を日常の業とするようになったわけである。馬やラクダのいない熱帯アフリカのサバンナでも，原住民の富の水準は主としてこれらの家畜や羊の数で計られている。
以上は，きわめて概括的な叙述で，もちろん，これには局部的な例外もある。とはいえ，膨大な地理学上の事実を整理する目的の上からは，さしあたりこれで充分だろうと確信している。