０１　以上が，現代の恐るべき事実であり，いつわりない残酷な実相である。しかも，これは我々の文明史上いまだかつて例を見ない新事実なのである。文明の発展過程においてこれに類似した現象はまったく見当たらない。しいて類例を探すとなれば，我々は我々の歴史をとび越え，我々の生活圏とはまったく異なった一つの生活圏の中に潜入しなくてはならないであろう。つまり，古代世界に潜入し，その衰退期に身を置かねばならないのである。ローマ帝国の歴史もまた，指導的少数者を吸収し失効せしめその座に登った大衆の反逆と支配の歴史であった。その時もまた，蝿集と充満の現象が現われた。だからこそ，シュぺングラーがみごとに洞察しているように，あの時代も現代と同じように大建築をたてなければならなかったのである。大衆の時代とは巨大なるものの時代なのである。

０２　今日我々は，残酷な大衆支配のもとに生きている。まさしくその通りである。私はこの大衆の支配を二度にわたって「残酷」と呼んだ。ありふれたきまり文句の神さまにはすでに十分に貢物は捧げたので，これからは，手に入れた切符を持って，心楽しく本題にはいり，内部から出し物を眺めることができるわけである。読者諸兄は，今までのたぶん正確ではあろうが皮相的な記述のみで私が満足するとお考えだったろうか。今までの記述は単に表面的・側面的現象に関するものであり，実はその裏に過去から見た場合に恐るべき事実が存在することを見逃がしているとお考えだったろうか。もし私が，ここでこの問題をうち切り，この論文にこれっきりで終止符を打ったとすれば，読者諸兄が，大衆が歴史の表面に信じがたい登場をなしとげたということに，私がいくらかの憎悪感と嫌悪感を抱き，不機嫌で侮蔑的な言葉を口にしたにすぎないではないかと考えられても，それは正しいというほかはないであろう。特に私は，周知のごとく，歴史に対する根本的な貴族主義的な解釈の支持者であるからなおさらのことである。根本的というのは，私はいまだかつて人間社会は貴族的でなければならないといったことはないほかりか，それ以上のことをいってきたからである。私は，人間社会はその本質上，好むと好まざるとにかかわらずつねに貴族的であるといってきたし，また日ごとにその確信を強めている。人間社会は，貴族的である限度に応じて社会たりえ，貴族性を失うに従って社会たることを止めてしまうほど，貴族的なものなのである。私は社会を問題としているのであって，国家について語っているのではない点を誤解しないでいただきたい。こうした恐るべき大衆の怒りに対して，ヴェルサイュの貴人のようにちょっと気どったしかめ面をするだけで満足するのが貴族的なのだ，と考える人は一人もいないであろう。ヴェルサイユ――私がいうのはそのしかめ面のヴェルサイユである――は貴族的でないばかりか，まったくその逆である。それは壮麗な真の貴族社会の腐敗であり死なのである。したがって，彼らに残っていた真に貴族的なものといえば，ギロチンの刃を首に受ける時のあの気品ある優雅さのみであった。彼らは腫れ物が手術のメスを受けるように，ギロチンの刃をわが身に受けたのである。しかしこれはけっして貴族的ではない。貴族としての尊い使命を深く感じている者ならば，大衆の現状をまのあたりにして，切り出されたままの大理石の塊を前にした彫刻家のように，やもたてもたまらず心の燃え上がるのを感ずるはずである。社会的な貴族というものは，「社会」という名称を自分たちが独占しているかのごとくふるまい，自分たちを「上流社会」と呼び，ただ誰を招待するのしないのといったことに明け暮れているごく少数のグループとは似ても似つかないものである。この小さな「優雅な世界」も，この世のすべてのものがそれぞれの価値と使命をもっているように，この広大な世界の中にあってそれなりの使命をもってはいるが，その使命たるや実に低次なものであって，真の貴族に負わされているヘラクレス的な事業とは比べものにならないのである。私は，この一見無意味なように見える優雅な生活がもっている意味について論述するのに別に不都合は感じない。しかし我々がとりあげているテーマは，それよりもはるかに重大な意味をもったものなのである。この「お上品な社会」も時代とともに変化するのはもちろんである。マドリードの社交界において，若さと近代性を一身に集め，トップ・スターの地位についているある妙齢の御婦人がいった次の言葉に私は大いに考えさせられたことである。「私はハ百人以下の人しか招待されていない舞踏会なんて，我慢できませんわ」。私は，この言葉を通して，今や大衆の様式があらゆる生活分野で勝利を収め，あの「幸運な少数者」のためにとっておかれたかに思われる最後の一角にまで力を及ぼしている事実を見たのである。

０３　だから私は，今日の大衆支配の背後に秘められている積極的な意義を看過しているような現代観をすべて拒絶するし，恐怖におののきもせずに大衆支配をおとなしく受け入れる見解をも認めない。運命というものはすべて，その根底においてはドラマティックであり悲劇的である。時代の危機を自分の手でしっかりと把み，その脈打つのを感じたことのない人は，運命の核心に到達したことのない人である。彼は，その病み衰えた額をなでたとしかいえない。我々の運命に恐るべき成分を注入しているのは，大衆の当たるものもない激しい精神的反乱であり，それはあらゆる運命と同様に威圧的で抗しがたく，得体の知れぬものである。いったい我々はどこへ連れて行かれるのであろうか。大衆の反逆とは絶対的な悪なのであろうか。それとも善たりうるものなのであろうか。とにかくそれは，巨大で宇宙的な疑問符のように，我々の時代の上に，厳然と費え立っているのである。疑問符は永遠に腰味な姿をしている。そこには確かにギロチンか絞首台を想わせるものがあるが，しかしまた，できうべくば凱旋門たらんとする何かもあるのである。

０４　我々が解剖に付さねばならない以上の事実は，次の二つの側面から考察することができよう。第一は，大衆は今日，かつては少数者のためにのみ保留されていたと思われる生活分野の大部分と一致する活動範囲をもっているということ。第二に，大衆はそれと同時に，少数者に対して不従順となり，少数者に服従もしなければ，追従も尊敬もしなくなったばかりか，その逆に少数者を押しのけ，彼らにとって代わりつつあるという事実である。

０５　まず第一の側面を分析してみよう。私がいいたいことは，今日の大衆が楽しみを享受するとともに，選ばれた少数者の集団によって発明され，かつてはその選ばれた者のみが利用していた利器を使用しているという事実である。彼らは，以前には少数者の生得権であるがゆえに上級とみなされていた欲望や必要性を感じるにいたったのである。平凡な一例にすぎないが，1820年にはバリの私邸で浴室があるのは十軒とはなかったのである。これに関してはボアーニュ伯爵夫人の日記を読んでいただきたい。ところが事態はこんな単純なことではない。今や大衆は，かつては熟達した人たちのみが活用していた技術の多くを知るとともに，かなり巧みにそれらを利用しているのである。

０６　しかも物質的技術のみではなく，より重大なことは，彼らが法律的社会的技術を身につけた事実である。18世紀に，ある少数者たちが，すべての人間は生まれたというだけの事実によって，ある種の基本的な政治的権利，つまり，いわゆる基本的人権と市民権をもっているものであり，そのためにはなんら特殊な資質をそなえる必要がないこと，しかも，それら万人に共通した権利こそが存在しうる唯一の権利であることを発見した。かくして，特殊才能に関連した他のいっさいの権利は，特権として非難されることになった。これは，初めのうちは，ごく少数の人々の単なる学説であり着想であるにすぎなかった。ところが，その後，それら少数の人々はこの思想を実際面に生かし始め，その正当性を説くとともにその実践を要求し始めたのである。しかし，彼らはいまだ最良の少数者たちであった。そして十九世紀全般を通じて，大衆はあたかも一つの理想に対するかのようにこの権利の思想に対して徐々に感激を増してはいったが，自己のうちにそれらの権利を実感することもなかったし，ましてやそれらの権利を行使することも楯にとることもしなかった。現実には，大衆は民主主義的な法制のもとで，旧体制下におけると同様の生活態度と自己意識をもち続けていたのである。「民衆」――当時彼らはこう呼ばれていた――は，すでに自分たちが至上者であることは知っていたが，それを信じようとはしなかったのである。しかし，今やあの理想は現実となった。しかももはや，社会的な生の外面的な図式である法制において現実となったというのではなく，主義主張のいかんを問わずあらゆる個人の心の内で現実となったのである。たとえ反動的思想の持ち主であってもその例外ではない。つまり，基本的人権と市民権を承認している制度を踏みつぶし，粉砕するような場合でさえ右の例外ではないのである。私は，大衆のこの奇妙な精神状態を把握しえない者は，今日世界に起こりつつあることをなんら理解しえないだろうと思う。なんら特別の資質をもたない個人，普通のそのままの人間の至上権は，かつては理念というか法律上の理想であったが，今では平均人の心理の構成要素となっているのである。ところでよく注意していただきたい。かつて理想であったものが現実の構成要素に代われば，それは必然的に理想ではなくなるということである。なぜならば，その時には，理想の属性であるとともに人間に対して理想を効果あるものとするあの権威と不思議な魔力が消え失せてしまうからである。あの高薄な民主主義的理想が生み出した万人平等化の権利は，目標や理想の座をおり，単なる欲求と無意識的な前提に変わりはててしまったのである。

０７　ところで，あれらの権利の意図するところは，人間の魂をその内的奴隷状態から救い出し，魂の内に自活と尊厳に対するある程度の自覚を呼びさます以外のなにものでもなかったのである。彼らが求めたのはこのことではなかったであろうか。つまり，平均人に，自分が自分自身の，そして，自分の人生の支配者であり主人であるという自覚を与えることではなかったであろうか。すでにその目的は達成されている。ではいったいなぜ，30年前の自由主義者，民主主義者，進歩主義者たちは今になって不平をいっているのであろうか。ひょっとして，彼らは，子供のように，あるものを欲しがりながら，その結果をわが身に受けるのは嫌だといっているのであろうか。平均人が主人公たることが彼らの理想であったはずである。それならば，平均人が自分の信ずるところに従って行動し，あらゆる享楽を要求し，決然として自分の意志を強行し，いっさいの隷従を拒否し，誰にもすなおに従わず，わが身とおのれの余暇を大切にし，風来を気にして着飾ったからといって，今さら驚くにはあたらないであろう。こうしたことは，主人たる自覚に付随する不滅の属性のいくつかの例にすぎないのである。今日我々は，こうした属性が平均人の中に，大衆の中に安住しているのを見るのである。

０８　以上の考察から，今日の平均人の生は，かつては最上層の少数者の特徴をなしていた生活分野から構成されていることが明らかとなった。ところで平均人は，それぞれの時代の歴史がその上で展開する地表面を示すものである。歴史における平均人の役割は地理学における海水面の役割に相当する。そこで，もし今日の平均水準が，かつては上層階級のみが達していた点にきているとすれば，それは，歴史的水準が突如上昇したことを単純明快に物語っているわけである。それは潜行した長い準備期間を必要としたが，その現われかたは突発的，飛躍的で，一世代で実現された。たとえていうならば，今日の兵隊は以前の隊長の要素を多くもっているというようなものである。人類という軍隊はもはや隊長ばかりで構成されている。この事実は，今日あらゆる人が驚くべきエネルギーと固い決意と身軽さで自由に生き，目の前を通り過ぎる享楽にとびつき，おのれの意志を押し通そうとしている姿を見るだけで納得できるであろう。

　現在と近き将来におけるいっさいの善といっさいの悪は，この歴史的水準の一般的上昇という事実にその原因と根源をもっているのである。

０９　しかしここで，予測していなかった注を加えなければならない。つまり，今日の平均水準がかつての少数者のそれと一致しているということは，ヨーロッパでは新事実ではあるが，アメリカ（スペイン語でアメリカという場合は，北米合衆国のみならず南北アメリカ大陸全体を指す）では自然で生得的な事実であったということである。私のいわんとすることを明確に見極めるために，法的平等の意識に思いをいたしていただきたい。自分が自分自身の主人であり，他のいかなる人間とも平等であるという自覚は，ヨーロッパでは傑出した人々のグループのみが獲得しえた心理状態であったが，アメリカでは18世紀以来，つまり，実質的には建国以来つねに存在していたのである。さらに，これ以上に奇妙なもう一つの一致がある。それは，こうした心理状態がヨーロッパの平均人に現われ，彼らの全般的生活水準が向上した時に，ヨーロッパの生活様式はそのあらゆる分野において，突然多くの人々に「ヨーロッパはアメリカ化されつつある」といわしめた様相を示したことである。ところがそういった人々はこの現象にたいした重要性を認めなかった。彼らは，それは習慣のちょっとした変化であり，流行の問題であると考え，外面的な類似性に幻惑されて，はっきりとはわからないがアメリカがヨーロッパに与えたなんらかの影響によるものと考えていたのである。しかし私の観るところでは，こうした考え方が，実ははるかに微妙で，驚異的で深刻なこの問題を陳腐なものにしてしまったのである。

１０　この際私は，鷹揚さを発揮して，海の向こうの人々に対し，確かにヨーロッパはアメリカナイズされており，それはアメリカがヨーロッパに与えた影響によるものであるといってしまいたい誘惑にかられる。しかし，遺憾ながらそうはいえないのである。外交辞令を呈したいとは思いながらも，そうした外交辞令は真理と対立するからであり，結局は真理が勝利を収めるべきだからである。ヨーロッパはアメリカナイズされてはいない。ヨーロッパはいまだアメリカからそれほど大きな影響を受けてはいないのである。たぶんその両方とも現在始まりつつあるといえるかもしれないが，今日という日の苗床となった近い過去にはそのいずれも現実に起こってはいないのである。この点に関しては，あまりにも多くの誤った見解が流布し，我々の，つまり，アメリカ人とヨーロッパ人双方の視覚を曇らせてしまっているというのが現実である。大衆の勝利とそれに由来する生活水準の驚くべき向上とは，ヨーロッパでは，２世紀にわたる漸進的な民衆教育とそれに並行して進んだ社会の経済的繁栄の後で，諸種の内部要因から起こったことなのである。ところが，その結果がアメリカの生活様式の最も特徴的な様相と一致したというわけであり，それによって，ヨーロッパの平均人の精神状態がアメリカ人のそれと一致してきたために，かつては不可解な謎であったアメリカ人の生活様式をヨーロッパ人が初めて理解するにいたったのである。したがって，これは影響の問題ではない。いやこの場合には影響という言葉を使うことさえ少し奇妙で，逆流とでもいうべきなのだろうが，いずれにしてもそうしたものではなく，問題は人が思ってみなかったもの，つまり，平均化なのである。ヨーロッパ人はつねに平均的生活水準はアメリカの方が旧大陸よりも高いと漠然と考えてきた。あまり分析的とはいえないが，この事実に対する誰の目にも明らかな直観が，未来はアメリカにありという見解を生み，それがつねに正しいものとして受け入れられ，疑問をもたれたことがついぞなかったのである。かくも流布し強く根づいている思想が，根もなく空中で繁殖するといわれている蘭のように，空から舞い降りたものでないことは容易に理解できる。この思想の根拠は，海の向こうでは平均生活水準がヨーロッパより高いという漠然とした確信にあった。ところがそれとは対照的に，アメリカの最上級少数者の生活水準はヨーロッパのそれより低かったのである。しかし歴史は，農業の場合と同じように，谷間から養分を吸収するのであって山頂からではない。つまり，社会の平均水準から養分をとるのであって傑出した人々からではないのである。

１１　我々は今日，平均化の時代に生きている。財産は均等化され，相異なった社会層間の文化程度も平均化され，男女両性も接近しつつある。そればかりではなく，諸大陸も均等化しつつあるのである。ところで，ヨーロッパ人の生活水準は比較的低かったのだから，この均等化によってヨーロッパ人は得こそすれ損はしなかった。したがって，こうした側面から見た場合，大衆の反逆は，生命力と可能性の信じがたいほどの増加を意味するものである。つまり，我々がしばしば耳にする「西洋の没落」とは正反対の現象なのである。西洋の没落というのは，不明確で粗雑な表現であり，いったい何が没落したといっているのか，ヨーロッパ諸国家なのか，ヨーロッパ文化なのか，それとも，そうしたすべてのものの背後にある比較にならないほど重要なもの，つまり，ヨーロッパの生命力なのかが判然としないのである。ヨーロッパの諸国家と文化についてはまた後でふれるつもりだが，あの西洋の没落という表現は，この両者には当てはまるかもしれない。しかし，生命力に関するかぎり，そうした表現を用いることは，当然のことに許しがたい誤謬であることを確認しておく必要がある。私はシュぺングラーとは別の言いまわしを採用するが，たぶんその方がより説得力があるというか，より真実らしい響きをもつであろう。私の主張とは，今日のイタリア，スペイン，ドイツの一平均人と一北米人やアルゼンチン人との生命力の差は三十年前よりはるかに少ないということである。そしてこれは，アメリ力人が忘れてはならない一つのデータなのである。