社会的なもろもろのことが立派に秩序づけられている時は，大衆は自分からは行動に出ることはしない。それが大衆の使命なのである。大衆は，指導され，影響され，代表され，組織され，さらには大衆であることを止めるためというか，少なくとも止めることにあこがれるべくこの世に生まれ出てきたのである。しかしそのすべてを自力で達成するためにこの世に生まれたのではない。大衆には，優れた少数者によって構成されているより高度の法廷に自分の生を関連づけることが必要なのだ。ご希望ならば，この優れた人間が誰かは，ご随意に議論していただきたい。しかし，それが誰であっても，とにかく，彼らなくしては，人類はその最も本質的な道から外れてしまうであろうことだけは，疑ってもらいたくないものである。ヨーロッパはこのまるまる一世紀間というもの，舵鳥のように頭をその大きな翼の下に突っ込んで，かくも明々白々たる事実を見ないように努力してきたが，こればかりはいかんともしがたい事実なのである。なぜならば，これは比較的頻繁に起こるありうべき事実に基づいた見解というのではなく，ニュートン物理学の法則よりもはるかに確固とした社会的「物理学」の法則に基づいているものだからである。ヨーロッパにふたたび真の哲学ーーこれがヨーロッパを救いうる唯一のものだ−−が支配する日が訪れた時，人々は，人間とは，好むと好まざるとにかかわらずその本質上目分より優れたものによる示唆を求めざるをえない存在であることを再認識するであろう。もしかかる示唆を自力で発見することができた人があれば，それが優れた人，選ばれたる人であり，もし自分で発見できないならば，それはとりもなおさず大衆人であるということであり，選ばれたる人から示唆を受ける必要があるのである。
したがって，大衆が自ら行動しようと試みることは，自らの運命に逆らうことであり，彼らが今日行なっていることはまさにこのことに他ならないので，私は大衆の反逆をここで問題としているのである。なぜならば，つまるところ，真に反逆と呼びうるものは，人間が自己の運命を拒否すること，自己自身に対して反逆すること以外にはないからである。大天使ルシフェルの反逆は，彼がもし神たらんと熱望する――これは彼の運命ではなかった――かわりに，これまた波の運命ではなかった最下位の天使になることを頑強に主張したとしても，厳密な意味では反逆としては大同小異であろう（ルシフェルがもしロシア人であったなら，トルストイのようにこの後者の反逆形式を選んだことだろうが，それとても神に反する点ではあの有名な前者の反逆形式となんら変わりないのである）。
大衆が自ら行動する時は，彼らはただ一つの方法によって行動するのみである。それは私刑であり，彼らはそれ以外の方法をもっていない。私刑法がアメリカで生まれたものだというのは，まったくの偶然とはいえない。なぜならば，アメリカはある意味では大衆の天国だからである。また大衆が勝利を収めている今日，暴力もまたその勝利をほしいままにし，暴力が唯一の手段，唯一の教義となっていることはなおさら驚くにはあたらないのである。私がこの暴力の規範化の傾向を指摘したのは，すでにかなり以前のことである。そしてこの傾向は今日その頂点に達している。しかしこれはよい兆候である。なぜならば，頂点に達したということは，今後は自動的に下降傾向をたどることを意味しているからだ。暴力は，今日すでに時代のレトリックと化した。修辞家たち，あの空虚な者たちが，暴力をかれらのものとした。一つの人間的現実がその歴史を完了し，難破し，死にたえた時，それは打ち寄せる波によってレトリックの岸辺に打ち上げられ，そこで死骸として長く生き続けるのである。レトリックは人間的現実の墓場というのが適切でなければ，老廃者の病院である。現実よりもその名称の方が永生きする。その名称は単なる言葉にすぎないとはいいながら，あくまでも言葉であり，つねに言葉としての不思議な力をいくばくか保持しているのである。
しかし，犬儒的にうちたてられた規範としての暴力の権威が衰退し始めたというのがたとえ事実であっても，我々は，その形こそ違え，相変わらず暴力の支配を受け続けることであろう。
私が言及しようとしているのは，今日のヨーロッパ文明を脅かしている最大の危険物についてである。それはこのヨーロッパ文明を脅かしている他のいっさいの危険物同様，ヨーロッパ文明そのものから生まれたものである。それどころか，ヨーロッパ文明の栄光の一つでさえあるのだ。この危険物とは他でもない，今日の国家である。つまり，我々はここでも，前章で科学に関して述べたと同じ理論につきあたる。その理論とは，科学の諸原理の豊鏡性が科学を驚異的に進歩させたが，しかしその進歩は不可避的に専門化をもたらしたのであり，その専門化によって科学は窒息しかけているというものであった。
実は同じことが国家についても起こっているのである。
18世紀末の全ヨーロッパ諸国において，国家とはいかなる意味をもっていたかを思い出していただきたい。それはきわめて微々たるものであった。技術，新しい合理化された技術が初めて勝利を収めた初期資本主義とその産業組織とが，社会の最初の膨脹を成し遂げた。そして，現在の社会階級よりもその数と力においてより強力な一つの新しい社会階級，つまり，中産階級が出現した。この底意地の悪い中産階級は，なかんずく，一つの特記すべきもの，つまり実践的才能をもっていた。彼らは，組織をつくり，規律をつくり，自分たちの努力に継続性を与えることを知っていた。「国家という船」は彼らのまっただ中にあって，あたかも大海原を行く船のように，危険な航海を続けていたのである。国家という船という唇輪は，自らを全能で嵐を峯んだ大洋のように感じていた中産階級に比較して思いついたものである。この国家という船は，まったくといっていいほどとるに足らぬものであり，兵士も官吏も金もほとんどもっていなかった。この船は，今日の中産階級とは非常に違った人々，驚くべき気力と支配力と責任感をもった人々，つまり貴族たちによって中世に建造されたのである。まさに貴族なくしては今日のヨーロッパ諸国は存在していないであろう。しかし，こうしたもろもろの精神的美徳にもかかわらず，貴族はそれ以後同様に中世にも能力をもち合わせていなかった。彼らは脳髄ではなく心臓によって生きていた。きわめて乏しい知性しかもたず，感傷的で，本能的で，直観的，要するに「非合理的」であった。だからこそ，合理化を必要条件とする技術をなんら発展させえなかったのである。彼らは火薬さえ発明しなかった。彼らは自ら墓穴を掘ったのである。彼らは新しい武器を発明する能力もなく，市民階級が火薬をオリエントあるいはその他の地域から導入して使用し，それによって戦場で，高貴な戦士，つまり「騎士」をごく自然に打ち負かすのを放置したのである。「騎士」は愚かにも鉄の甲胃に身をかため，戦闘に際してほとんど身動きもできないありさまであった。彼らは，戦争の永遠の秘密は，防御手段よりも攻撃手段にあることに気づかなかったのである（そしてこの秘密を再発見したのはナポレオンであった）。
国家は一つの技術，社会的次元の統治の技術なのだから，「旧体制 」は18世紀の
終わりには，広大で革命的な社会によって四方ハ方から鞭うたれるきわめて微弱な国家をもつにいたった。その時の国家の力と社会の力との不均衡はあまりにも大きくシャルルマーニュの時代の情況と比べた場合，18世紀の国家は退化物とさえ見えるほどである。カロリング朝時代の国家がルイ16世治下の国家よりはるかに弱かったのはもちろんだが，しかしそれをとり巻く社会はさらになんの力ももっていなかったのである。社会の力と社会的権力との間のあまりにも大きな差が，（1848年までの）たび重なる革命を可能としたのである。
しかし，革命によって市民階級は社会的権力を掌握した。そして，彼らは彼らのもっている否定しえない美徳を国家に応用し，わずか一世代足らずで強力な国家をつくりあげ，一連の革命の息の根をとめてしまったのである。1848年以後，つまり，市民階級による支配の二世代目が始まってからというもの，ヨーロッパには真の意味での革命は起こっていない。それは革命のための動機がなかったからというのではなく，その手段がなかったからである。社会的権力と社会の力とが均衡した。革命は永遠に姿を消したのである。ヨーロッパに起こりうるのはもはや革命とは逆のもの，つまり，クーデターのみとなった。そして，それ以後に革命らしき様相を呈したものは，すべて仮面をかぶったクーデターにすぎなかったのである。
我々の時代になって，国家は驚異的な働きをみせる強大な機械となるにいたった。その機械は，多数の正確な手段を用いて驚くべき効果を発揮している。その機械は社会のまっただ中に据えられ，ボタンを一つ押しさえすれば，その巨大なしバーが作動し，社会のいかなる部分にも電撃的に作用するのである。
今日の国家こそ，文明が生み出した最も顕著な産物である。そして大衆人がこの国家に対してとっている態度を理解することは，きわめて興味深いことであり，多くのことを明らかにしてくれる。大衆人は国家を見て，国家に感嘆する。そして国家が現にそこにあり，自分の生を保証してくれていることを知っている。しかし彼は，国家は人間の創造物であり，幾人かの人間によって発明され，昨日までは確かに人間にそなわっていたある種の徳性と前提条件によって維持されてきたものであり，明日には雲散霧消してしまうかもしれない，という自覚はもっていない。また一方では，大衆人は国家の中に一つの匿名の権力を見るのであり，しかも彼は自分自身も匿名――つまり俗衆――と感じているのだから，波は国家を自分のものと信じ込んでしまうのである。ある国の社会的な生になんらかの因難，乳酸，問題が生じた場合を想像していただきたい。その時大衆人は，国家がそれに対して責任をとり，その巨大にして他に比べるもののない手段を用い，直接手を下して解決をはかるよう要求することであろう。
今日，文明を脅かしている最大の危険はこれ，つまり生の国有化，あらゆるものに対する国家の介入，国家による社会的自発性の吸収である。すなわち，人間の運命を究極的に担い，養い，押し進めてゆくあの歴史的自発性の抹殺である。大衆がなんらかの不運を感じるか，あるいは単に激しい欲求を感じる場合，彼らにとっての大きな誘惑は，ただ一つのボタンを押して強力な機械を動かすだけで，自分ではなんの努力も苦闘もせず，懐疑も抱かなければ危険も感じずにすべてのものを達成しうるという恒久不変の可能性をもつことである。大衆は「われは国家なり」と独語するが，これは完全な誤りである。国家は，二人の人間がどちらもフワンという名前ではないという点で同一だといいうるという意味においてのみ，大衆である。今日の国家と大衆は，ともに匿名であるという点においてのみ一致している。ところが大衆は，実際に自分が国家であると信じているのであり，勝手な口実をつくっては国家を動かし，国家を用いて，国家の邪魔になる――政治，思想，産業などいかなる分野でも国家の邪魔になる――創造的な少数者を押しつぶそうとする傾向をますます強めてゆくであろう。
この傾向は致命的な結果をもたらすこととなろう。つまり，社会の自発性は国家の干渉によって幾度となく暴行を加えられ，いかなる新しい種子も実を結ぶことができなくなるであろう。社会は国家のために生き，人間は政治という機械のために生きねばならなくなるであろう。そして，国家はつまるところ一つの機械に他ならないのであって，その生存と保守は，機械を維持している周囲の生命力に依存しているのだから，社会の髄まで吸いつくした後は，自分自身痩せ細り，骨だけになってゆき，ついには死に絶えてしまうだろう。しかもその死は命ある有機体の死よりも凄惨な死，あの機械の錆び朽ちた死であろう。
古代文明の哀れな運命がこれであった。ユリウスやクラウディウスの一門によって創設された帝国的国家がそれ以前の貴族たちの共和的国家よりも，比較にならないほど優れた仕掛けをもった機械であったことはなんら疑いのないところである。しかし――実に不思議な一致だが――帝国的国家がその完全な発展段階に達するやいなや，社会という組織体は衰退し始めたのである。すでにアントニーヌス家の時代（二世紀）に，国家は生を窒息せしめるような絶対的に優位な権力をもって社会の上にのしかかっていた。社会は奴隷化し始め，国家に奉仕する以外に生きる方法をもたなくなってきた。生のすべてが官僚化されたのである。結果はどうなったであろうか。生の官僚化は，生の絶対的な衰退，つまり，あらゆる分野における衰退をもたらしたのである。富は減じ，婦人の出産率は低下した。そこで国家は，自己の窮状を救うために，人間の生存形式の官僚化をいっそう強化していった。官僚化の第二段階は，社会の軍隊化であった。国家が最も必要としたものは，その戦闘用具，つまり軍隊であった。国家は，何よりもまず安全の保護者である（大衆人を生み出すあの安全の保護者であることを忘れないでいただきたい）。したがって，国家とは，まず何にもまして軍隊であった。アフリカ出身のセヴェルス家は，社会を軍隊化した。なんという徒労であろうか。貧苦はますます増大し，女性の妊娠率はますます低下していった。兵士にさえこと欠く事態にたちいたった。セヴェルス家が没落した後では，軍隊は外国の傭兵に頼らなければならなくなっていたのである。
国家主義の矛盾に満ちた悲劇的な過程がどういうものかお分かりいただけるだろうか。社会は，よりよく生きんがための一つの道具として国家を創った。ところが，その後国家が社会の優位に立ち，社会は国家のために生きなければならなくなった。しかし，それでも国家は依然としてそうした社会の人間によって構成されていた。しかし，すでに彼らだけでは国家を維持するに十分でなくなり，まず初めにダルマチア人，後にはゲルマン人というふうに外国人を招かなければならなくなった。そしてそれら外国人が国家の主となり，社会における彼ら以外の者たち，つまり本来の民族は，外国人の奴隷として，自分たちとなんら関係のない人々の奴隷として生きなければならなくなったのである。国家による干渉の結果がこれである。すなわち，民衆は，国家という単なる建造物，つまり，機械を養う肉となりパンと化してしまうのである。骸骨がその周囲にある肉を食い，家を建てるための足場が家の所有者となり住人となるわけである。
以上のことを知ってみると，ムッソリーニがあの典型的な気どりをもって，「すべては国家のためであり，国家以外に何物もなく，国家に逆らう何物もなし」という公式を，たった今イタリアで行なわれたばかりの驚異的な発見であるかのように吹聴するのを聞いて，いささか困惑せざるをえないのである。ファシズムが実は典型的な大衆人の運動であることを見破るには，この事実だけで十分である。ムッソリーニが出会った国家は，みごとに構築された国家であった。しかもそれは，ムッソリーニによって造られた国家ではなく，まさに波が攻撃している当の力と思想，つまり，自由主義的デモクラシーによって造られたものであったのである。波がやっていることは，その国家を無節操に使うことだけである。ここで私が波の事業を一つ一つ批判するまでもなく，彼によって今日までに達成された成果が，自由主義的国家がその政治と行政面において成し遂げたものに比較することさえできないものであることは明らかである。もし何かを達成したとしても，それはきわめて微々たるものであり，ほとんど目にもつかなければ，なんら本質的なものでもなく，彼が国家という機械をかくも極端な形で用いることに同意しているおびただしい曲がった力と釣り合いを保つなどとうてい及ぶべくもないのである。
国家主義は，規範と化した暴力と直接行動がとりうる最高の形式である。そして大衆は，国家という匿名の機械を通じ，またそれを手段として自ら行動するのである。
ヨーロッパ諸国は，自己の内的な生に難問が生じ，経済的，法律的，政治的な問題が極端に困難化してくるような時代に向かって進みつつある。大衆支配の下にあっては，国家が個人と集団の自由を踏みにじり，ついには未来の息の根を決定的にとめてしまうような働きをすることをどうして怖れずにいられようか。
かかるメカニズムの具体的な例を，我々は，最近三十年間における最も物騒な現象の一つに見ることができる。それは，あらゆる国において認められる警察力の膨大な増強である。社会の増大が不可避的に警察力の増大をもたらしたのである。我々にとっていかに日常的なことであるとはいえ，今日の大都市の住民が安全に街を歩いて自分の仕事に行くためには，交通を整理する警察の存在がどうしても必要だという恐るべき矛盾に不感症になってはならない。いわゆる「秩序を愛する」人々が，秩序を守るために作られたこの「社会的秩序の権力」は，自分たちが希望する秩序をつねに樹立するだけで満足するであろうと考えるのはあまりにも無邪気である。結局は，それら権力は彼らが強制する秩序は彼らで決定するようになることは避けえないのであり，しかも彼らが決定する秩序は彼ら自身に都合がよいものとなるのはしごく当然なことである。
この問題にふれた機会に社会的必要性に対する反応の示し万が社会によって違うことを指摘する必要がある。1800年ごろに，新しい産業が，従来の人間よりもはるかに犯罪傾向の強い人間のタイプ――産業労働者――を生み出し始めた時，フランスは大急ぎで巨大な警察を作り上げた。さらに1810年ごろには，同じ理由からイギリスにおける犯罪発生率が上昇し始め，イギリス人は初めて自分たちが警察をもっていないことに気づいたのである。その時政権を握っていたのは保守党であった。さて彼らは何をしたであろうか。警察を作ったであろうか。いやそのようなことはまったくやらなかった。彼らは犯罪を忍びうるところまで忍ぶ方を選んだのである。「人々は，無秩序を，自分の自由を買いとるための身代金と考え，自らあきらめて無秩序に席を譲ったのである」。ジョン・ウィリアム・ワードは次のように書いている。「パリにはすばらしい警察がある。しかし，その便宜をうけるために彼らは高い代償を払っている。私なら，家宅捜索をされたり，スパイされたり，その他もろもろのフーシェの悪だくみにおびやかされるくらいなら，三年あるいは四年ごとに，ラットクリフ街で半ダースの人間が殺されるのを見る方がまだましだと思う」。以上は，相異なった二つの国家観である。イギリス人は国家に限界がある方を望んでいるのである。